ごくせん第八話

日本テレビ系。開局55周年記念番組。土曜ドラマ「ごくせん」。
原作:森本梢子「ごくせん」。脚本:江頭美智留。音楽:大島ミチル。主題歌:Aqua Timez「虹」。プロデュース:加藤正俊。制作協力:日テレアックスオン。演出:山下学美。第八話。
神谷俊輔(三浦翔平)の、母親の美沙子(宮崎美子)等に対する逆ギレの際の目付きと怒鳴り声には意外に迫力があって、何時になく不良の怖さを感じた。あれ程の怖さを感じさせたのは、今回のこの「ごくせん」の3年D組生徒連中の中では今まで風間廉(三浦春馬)しかいなかったと云える。しかし神谷俊輔の迫力はそれに比肩し得たかもしれない。
このドラマにおいて札付きのワルと見做されている赤銅学院3年D組の不良生徒たちというのは実は不良のフリをしてるだけの所謂オバカキャラの男子たちに過ぎないのではないか?というのは、多分このドラマの視聴者の殆ど皆が思っていることだろう。実際、彼等が不良らしく悪事を働いている場面は劇中に見たことがない。もし番組内の描写の外で何か問題ある行動をしたことがあったにせよ、多分それは偶々人々に迷惑をかけるような結果を招いただけのこと、彼等にはそうなるだろうことが予知できていなかっただけで、悪事を働く意図なんかなかったに相違ない。第四話では風間廉が未成年の高校生でありながらホストクラブで働く場面があって、それが殆ど唯一このドラマにおける彼等の「ワル」としての具体的な描写だったろうが、それこそは逆に、まさしく「悪事を働く意図なんか全くなかったのに考えが足りなかった所為で偶々ワルになってしまった」ことを実証する事例に他ならない。
もっとも、風間廉に関しては異見がある。(彼を演じる三浦春馬が一人の役者として「本気」で不良役を演じようとしてしまった所為で)風間廉は時折「どう見ても犯罪者予備軍にしか」見えないような怖い目付きで相手を睨み付けることがあり、ゆえに「ルックスのわりに今まで彼女いなかったのは明らかに人でも殺しそうな危険な犯罪者もどきだったから」と考えざるを得ないとの見解があるのだ(http://d.hatena.ne.jp/korohiti/)。誠に、然り。確かに第一話を見たときから気になっていた点ではあるのだが、云ってはならないことのような気がして怖くて云い出せなかったという面もある。指摘するには度胸を要する類のこともあるのだ。
しかるに、今宵の第八話における神谷俊輔は、怒りを表して相手を睨み付けるときの目付きの怖さに加えて、風間廉よりも「ドスの利いた」低い声の持ち主でもある所為で、このテレヴィドラマには相応しくない水準のワルにさえ見えた瞬間が幾度もあった。しかも優しい母親に反抗するのみか、何時も仲良しの風間廉をはじめとする五人や熊井輝夫=クマ(脇知弘)にまで逆ギレをした行為それ自体に見る柄の悪さが、その感じを増長した。
とはいえ、このような幾つかの例外的な要素を除外して見詰めれば、神谷俊輔は実に今年の「ごくせん」における赤銅学院3年D組の「不良」というものの本質をそのまま体現したような人物だったと云ってよい。彼は札付きの不良なんかではなく、不良というものをケンカに強い男として思い描き、そのような不良に憧れて、不良の扮装をしていただけの少年なのだ。
今回は彼の家も家族も家庭生活も、充分にではないにせよ描かれたが、明らかに恵まれていると見えた。立派な玄関のある彼の家は、風間廉から見れば豪邸と云うも過言ではないだろう。顔立ちの物語る通り神谷俊輔は育ちの良い少年なのだ。
彼の苦悩と反撃のドラマは、ケンカの弱い少年が、強い男になりたいという願望を抱きつつも、やがて周囲の愛によって、ケンカでの強さを超えた真の強さとは何であるかを知る過程を描いたものとしか見えなかった。「荒高」と云えば三年前の「ごくせん2005」にも黒銀学院3年D組の不良連中の敵として登場したかと記憶するが、今回、赤銅学院の不良連中の敵として登場した「荒高」不良連中の番長、国村(滝口幸広[元PureBOYS])は、桃ヶ丘女学園の遥香渋谷桃子)とのデイト中の神谷俊輔の前に現れてそのデイトの邪魔をして、苛めて、辱めた。これを機に神谷俊輔は「本気」で不良の目付きを見せ始めたわけだが、その挙句に彼が国村に対し反撃を試みて、殴られ、蹴られ、ボロボロになりながらもなおも相手の脚にしがみ付き食らい付いてゆこうとする姿は、「ドラえもん」第一部の最終回の、ジャイアンに立ち向かった野比のび太の勇姿を想起させずにはいなかった。
ケンカに強くなる方法を教えてくれ!と「ヤンクミ」こと山口久美子(仲間由紀恵)に殴りかかった神谷俊輔の姿は、今までケンカなんか事実上やったこともない少年の、必死の足掻きに見えた。それに先立ち、彼のケンカの弱さは国村によって散々笑いものにされたばかりか、猿渡五郎教頭(生瀬勝久)にまでも軽く笑われていたが、ことによると彼は幼時からそうした恥辱を数え切れない程に経験し続けてきたのかもしれない。
ところで、風間廉は、クマの妻の亜美(石原あつ美)が子を出産した瞬間、「子どもが生まれる」ということの凄さに圧倒されていた。一見、真面目な深遠な台詞のようだが、同時に、風間廉を演じる三浦春馬テレヴィドラマ「14歳の母」において十四歳の母の子の父を演じていたことを踏まえての、視聴者を笑わせるための台詞とも思えてしまう。