渡る世間は鬼ばかり第十五話-純愛物語から嫁姑物語への急転直下

TBS系。橋田寿賀子ドラマ「橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」。
作(脚本):橋田寿賀子。音楽:羽田健太郎。ナレーション:石坂浩二。演出:清弘誠。プロデューサー:石井ふく子。第九部第十五話。
かつて吾、二〇〇六年十月放送のこのドラマにおける神林=本間常子(京唄子)と神林清明愛川欽也)との純愛物語、その感動の再会の瞬間を、橋田寿賀子版「世界の中心で、愛をさけぶ」と形容したことがある。そして今宵のこのドラマにおける常子の大手術のあとの両名の再会は、いよいよ「世界の中心で、愛をさけぶ」への接近を予感させた瞬間だった。だが、同じ瞬間に期待は軽く破られるべきことが定められた。なぜならこのドラマは「橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」に他ならないからだ。
身体の自由を失った常子。しかし頭脳も言語も実に明晰、明瞭であるところが既に波乱を予感させる要素ではある。なにしろ、身体の自由がない分、誰かにその世話を見させる必要がある反面、頭脳にも言語にも最高度の自由がある分、文句も悪口も云いたい放題なのだ。考えようによっては、従来よりもさらに強化された「鬼姑」誕生のときでさえあった。
常子は、清明への純愛、「神林先生のために尽くしたい」という愛の強さのゆえに、もはや尽くすことができなくなったばかりか今後は逆に尽くしてもらわなければならなくなったことを無念と感じ、清明との別れを決意した。清明は、常子の身体がどうなろうとも愛は変わらないこと、今後は己が世話をしたい考えであることを述べて説得を試みたものの、常子の決意は固かった。かねて母が清明と再婚すること、清明を義父とすることに反対していた長男の本間英作(植草克秀[少年隊])も、これ幸いとばかりに清明を追い出した。そして母の世話をする役割を、妻の本間長子(藤田朋子)に命じた。これまで何でも己のやりたい放題、いつまでも実家の料亭「岡倉」に寄生して、既に夫も子もある身でありながら父に養ってもらい、嫌なこと全てから逃れて己の欲望にのみ忠実に生きて、それでいて他人に対してはやたら偉そうに説教ばかりしていた長子は、ついに過酷な現実に直面せざるを得なくなったのだ。
純愛物語から嫁姑物語への急転直下。放蕩娘への天罰。脚本家=橋田寿賀子の力量を久し振りに見せられた思いだ。