正義の味方第二話

日本テレビ系。水曜ドラマ「正義の味方」
原作:聖千秋集英社)。脚本:旺季志ずか。音楽:小西康陽。プロデュース:次屋尚。制作協力:アベクカンパニー。演出:中島悟。第二話。
中田容子(志田未来)にとって中田槇子(山田優)は悪魔のような姉でしかないし、確かに自分勝手な非道い人物ではあるが、職場における勤務の姿勢は意外に正しい。
勤務先は「政務省」と云うから、推測するに、各省庁の政策を総合的な視点から調整し、管理し、優先度を判定して財源の配分等にも影響を与えるような、云わば諸官庁を統括する官庁なのだろうか。中央省庁の常としてそこで働く官人たちは日々残業に追われている。槇子の上司にあたる課長の野上公一郎(徳井優)に至っては、残業しない者は仕事をしていないも同然であるとまで云い切って憚らない。
この課長は年配者であるから、多分、所謂キャリア組ではなかろう。中級職からの叩き上げ課長なのだ。管理職を拝命するまでの永い歳月、凄まじい残業の日々を重ね、莫大な残業代を給与されて、かなりの財産を築いていることだろう。そうした生き方が染み付いているから部下にも同じように働いてもらわなければ気が済まない。
彼の課の職員たちに支払われる残業代は莫大な金額に達しているだろうし、夜の退庁時には皆タクシーを愛用していることだろう。そればかりか、残業が行われている間は庁舎内で光熱水費が用いられていることも忘れてはならない。
だが、槇子が述べた通り、それらの金は全て国民の税金で賄われる。無論、かのDAIGOの「おじいちゃん」が云っていたとDAIGOが云ったように、公務員は国家にとっては必要だ。だが、残業の必要性については少々見直し考え直す必要もありはしないか。例えば、中央省庁から全国都道府県を通じて各市町村や各種公共機関、さらには各種民間企業にまで一斉送付される公文書やポスター、小冊子等の類には無意味なものがありはしないか。というか意味あるものなんか滅多にないのではないか。ああいうものを出すことで中央省庁の官僚たちは己等の権力、権威を実感したいのか知らないが、印刷代と郵便代と光熱水費と残業代の壮大な無駄ではないか。それは環境省の推進する「エコ」の観点から考えても、望ましいことではないはずだ。
その点、所謂キャリア組の幹部候補生でありながら敢えて残業を一切しない姿勢を貫く槇子は、たとえ私的な欲望に基づく姿勢であろうとも、国民の血税を無駄にしないという主張を伴う以上、確かに「正義の味方」と形容するに相応しいに相違ない。しかも、仕事を決して疎かにはしていないのだ。勤務時間中は殆ど私語もなく脇目も振らず一心不乱に議会関係の文書を大量に作成していた。勤務時間中に最大限に働いて、残業を要しない程、業務を完璧に処理し得るとは、むしろ公務員の鑑と云うべきではないか。
関連して云えば、同じく政務省に勤務する東大法卒キャリア組の事務官(政務事務官とでも云うのだろうか?何だか矛盾した官名)でエリート街道邁進中の良川直紀(向井理)は、ついに槇子との交際を始めたが、これを槇子の毒牙にかかったものと見るのは容子の誤解に過ぎない。なぜなら彼は槇子に騙されたのではなく勝手に勘違いしただけなのだからだ。彼が槇子を素晴らしい人、善い人だと思い込んでいること、恐るべき暗黒面に未だ気付いていないことは、概ね偶然の帰結でしかない。霞ヶ関の中央省庁の官僚であれば云うかもしれない。「それは自己責任の問題なのだ」と。