道後八町の秋の大祭の本宮

道後の秋の大祭の最終日、「本宮」。宮出と鉢合わせの日。これに関して昨夜の吾が計画では、今朝四時には起きて準備を整えて道後の秋の大祭の宮出と鉢合わせを見物するはずだったのだが、現実には、午前五時半まで目を覚ますことができなかった。既に外からは道後温泉駅前の大音声が聞こえていた。テレヴィを点ければ愛媛CATVイヴェントチャンネルでは伊佐爾波神社の(映画「がんばっていきまっしょい!」で馴染みの)百三十五段もの石段を各町の大神輿が降りている様子や道後温泉駅前の様子を映していた。駅前は既に大観衆で占められていた。それを見ながら簡単に朝食を摂り、準備を整えてから外出。今朝のこの盛大な祭の全体像については、愛媛CATVにおける約四時間もの実況中継生放送の番組を吾がHDDに録画してあるし、この長時間番組を編集して一時間半に要約し短縮した番組も録画してあるので、現場の異様な熱気の中で体験したことについての、曖昧な記憶を記しておく必要はないだろう。
来年のために記しておくべきこととしては、愛媛CATVの祭中継を録画するに際しては先ずは実況中継生放送の番組を予約録画しておくべく、同社の公式サイトの番組表を必ず確認しておくべきことがあるだろう。
それにしても思うのは、この秋の大祭の最終日の早朝、道後に集まる観衆の人数が十年前に比較して異様に増加しているのではないかということだ。かつて吾、この大祭の存在自体を認識していなかった頃、旧「小唐人町」東端にあった吾が方丈の近くを北へ駆けてゆく神輿守の衆の大音声に起こされるようにして目を覚まして、不図誘われるように彼等のあとを付けて道後まで行って初めて、この興奮度の高い祭の存在を認識し、喧嘩神輿を目撃したものだったが、当時は道後温泉駅の駅舎の周囲にも、観衆が自由に歩き回れる程の余裕があったような気がする。それが今や、喧嘩神輿の馬場となるべき駅前の広場の大半を観衆が占め、各町の大神輿が動き回る余裕さえもない有様。ゆえに大神輿と神輿守の衆が広場の中央へ動く度に観衆は道を開けるため移動しなければならないし、弾みで将棋倒しが生じることも自ずから多くなる。十年前にはそこまでのことはなかったような気がするが、五六年前には既にこのような状態になっていたようにも思う。
ところで、道後のこの喧嘩神輿に参加する道後村・湯之町・溝辺・小唐人・大唐人・北小唐人・持田連合・築山の「八町」の大神輿の活動を伝えるDVDが今年から発売されているとのこと。昨年度の映像をまとめたものなのだろう。是非とも欲しいと思ったのだが、販売所のあるはずの放生園に行ってみてもどこにも売っていなかった。周囲の人々の会話によると既に完売したらしい。残念だ。再販売はないのだろうか。
本日は先月の休日出勤の分の代休をもらっていたので一日の休暇。八町の大神輿の鉢合わせを見終えたあと帰宅して昼まで寝ていたところ、午後、外から大音声が聞こえたのでバルコニーから見下ろしたところ直ぐ下に道後村大神輿が来ていた。夕方になり、道後公園へ行った。朝の鉢合わせのあとのアナウンスで、湯之町と道後村の両大神輿が夕方に道後公園に集まると予告されていたように記憶するからだったが、行ってみれば気配もない。近くに松山市立子規記念博物館あり、その職員の方々がおられたので聞いてみれば午前十一時頃に行われたのではないかとのこと。そうだったのか。見逃したのか。残念に思いながら道後温泉駅前に行けば丁度そこに湯之町と道後村の両大神輿が揃っていて、両町の神輿守全員で記念撮影をしたあと、二体だけで最後の鉢合わせをして放生園と駅舎の周囲の観衆を沸かせていた。やがて道後村大神輿を先頭にともに伊佐爾波神社へ向かい、老舗旅館ふなや前で旅館側の接待を受けての休憩を経て、百三十五段もの石段を登り神社へ戻り、湯之町をはじめ他の大神輿も続いて行った。
伊佐爾波神社の百三十五段もの石段を各町の大神輿とそれを担う神輿守の大人数が昇ってゆく姿は、夕闇の中、石段の両脇に掲げられた提灯に照らされ、石段の上の門に吊るされた提灯を逆光として浮かび上がり、幻想的に美しい。この祭の真のクライマックスがここにあると思う。その様子を見届けて神社の鳥居の前を去ったのは六時半頃だったろう。