ブラッディ・マンデイ第十一話=最終回

TBS系。土曜ドラマブラッディ・マンデイ」。
原作:(作)龍門諒&(画)恵広史。脚本:渡辺雄介。主題歌:flumpool「Over the rain ひかりの橋」。音楽:井筒昭雄。音楽プロデュース:志田博英。プロデューサー:蒔田光治&神戸明&樋口優香。製作:東宝&TBS。演出:平野俊一。第十一話=最終話。
テロリスト集団=カルト教団の表向きの指導者「J」こと神崎潤(成宮寛貴[特別出演])は腹心のハッカー、「ブルーバード」(山口龍人)をなぜ殺したのか。天才ハッカー少年「ファルコン」こと高木藤丸(三浦春馬)の追跡に失敗したからである…と答えることは可能だが、その失敗の意味については検討の余地があるし、別の理由も考えることができそうだ。
先ず(一)ブルーバードの失敗は、教団の新たな導師「K」こと安斎真子(徳永えり)の隠した「宝石箱」=「中性子爆弾」の在り処に関する情報にまで到達できなかった時点で確定したわけで、「J」によるブルーバードの処刑もそのとき断行された。だが、(二)それ以前にブルーバードが少々調子に乗って余計なことをしていたことも「J」の決断に影響を与えた可能性はないだろうか。「J」がブルーバードに命じたのは第一にファルコンの追跡、第二に、ファルコンが「宝石箱」に達する寸前に出し抜いて先に到達することだった。その作戦を成功させるためには、ファルコンに気付かれることなく尾行することが望ましかったのではないのか。それなのにブルーバードは、これまでファルコンに負け続けてきたことの恨みを晴らしたかったのか、むしろファルコンの前に自らの姿を現して執拗に攻撃を仕掛けた。結果、目的地に近付くことさえできないまま返り討ちに遭って追い落とされてしまった。私情に流されて任務を忘れていたと非難されて然るべきだろう。
もっとも、考慮されるべきは、「J」の真の狙いがファルコンに先んじて「宝石箱」を遠隔操作することにはなく、むしろ「宝石箱」それ自体を解体して回収して「K」の作戦を阻止することにこそあったという点だ。「J」はブルーバードに対し、「宝石箱」を遠隔操作して掌中に収めて教団内の実権を奪還しよう!と誘っていたが、それは嘘だったのだ。「J」は教団そのものを捨てようとしていたに相違なく、ゆえに教団の一員であるブルーバードについては、ファルコン追跡の作戦に成功するか否かに関係なく、最終的には消し去ることを、最初から予定していたのではないかと考えられる。
もっと重要な問題であるのは、ブルーバードの追跡が失敗に終わったあと、「J」は一体どのようにして「宝石箱」の在り処を探り当てたのか?という点だが、どう考えても、折原マヤ(吉瀬美智子)から買い取った以外の可能性が見えない。マヤは教団の信者ではなく金で雇われた殺し屋であり、報酬を得ることさえできれば誰の手先にもなり得る。実際、あろうことか教団にとっては敵側であるはずの法務大臣の九条彰彦(竜雷太[特別出演])からも買収されていたらしいのだ。そうであれば、仲違いをしていた「J」に買収されて「宝石箱」の情報を漏洩したとしても不自然ではない。「一瞬で消滅か…」と呟きながらマヤが街を一人のんびり歩いていたのも、既に「一瞬で消滅」の可能性がなくなったろうことを、知っていたからだろうと解される。
そうであれば、「J」がファルコンに対し「負け」を認めたのはどのような意味においてであるのか。彼の言によれば、守るべき者がいるということは一つの弱点ではあるが、同時に戦いにおける強さの源でもあり得る。ファルコンは妹や友人たちを守るために戦ってきて、「J」はそれを「勝ち」と認めた。それを裏返して云えば、「J」は、守るべき者を持たなかった点において負けたということではないだろうか。母は既になく、父も殺害され、父を同じくする妹には愛を感じないが、母を同じくする弟=九条音弥(佐藤健)には兄弟であることを拒絶される。彼を家族として愛してくれるかもしれない祖父の九条彰彦とは決して会うことがないだろう。教団からは既に見捨てられ、自らも教団を見捨てた。戸籍上、彼の存在は抹消されているから国家の保護下にもない。守るべき者を持たない彼は、同時に、誰からも守られることがない。こんなにも無惨な敗北が他にあるだろうか。
なお、マヤが九条法務大臣から与えられた任務は厳密には何だったのか?とか、ロシアでの「中性子爆弾」の爆発の現場にいたはずのマヤが無事だったのはどういうことか?とか、「宝石箱」の時限装置の機能の切り替え作業は誰がどのように行ったのか?とか、疑問点は少なくないが、雰囲気だけは何となく悪くなさそうな感じの中で物語は結ばれたと云えるだろう。