Q.E.D.証明終了第八話

NHK総合ドラマ8Q.E.D.証明終了」。第八話。
原作:加藤元浩。脚本:相原かさね。音楽:海田庄吾。演出:榎戸崇泰。
今宵の第八話を見終えた今、これが今までの八話中で最も面白かったことを確信する。なにしろ吾、燈馬想(中村蒼)による「Q.E.D.証明終了!」の宣告を聴かされてもなお、真犯人が誰であるのかを暫くは理解できなかった。吾等視聴者は「Q.E.D.」の瞬間に至るまで千田川邦彦(北条隆博)の妄想と虚言の複合体に付き合わされていたのだ。
予て被害妄想の気味があったと思しい大学院生、千田川邦彦は、妄想の中で増幅した絶望感の中、その妄想の原動力としての自己の可能性に対する過大な自己評価に裏付けられて、その絶大な可能性を自ら証明するため甚だ稚拙にも一つの悪事を企画し、行動したが、妄想された理想像が云わば現実によって無惨にも敗れ去ったとでも云うべきだろうか、窃盗のつもりがそれを糊塗しようとした所為で殺人と化したとき、忌まわしい現実を葬り去るために何時しか別の妄想をも発動させ、妄想に重ねられた妄想が再び現実に裏切られるや敗北を糊塗するためにさらなる悪事を働いて、ついには自己の現実を完全に見失ってしまっていたのだろう。
彼は、己の卓越した能力と、そのゆえの将来の栄光を確信していて、しかるに現在の彼の日常の経済上の苦難はそうした輝かしい可能性を今にも挫折させようとしている…と感じていた。それで彼は現実の世界を恨み、この愚かで無価値な現実世界への復讐心に駆られて、そして恐らくは現実的な経済面の渇望にも促されてか、近所で話題になっていた連続強盗事件に便乗して「完全犯罪」を企てた。だが、実のところはそれは「完全犯罪」と云うには余りにも程遠い出来だった。「不完全犯罪」と云うしかない。妄想された理想の自己像は現実によって常に裏切られていた。
そもそも彼の、己の卓越した能力と、そのゆえに将来の栄光が約束されているはずであることの確信には、一体どのような根拠があるのだろうか。卓越性の中身は何か。輝く将来とは何か。それらが妄想の中で具体化されることはなかった。恐らくは中身なんかないのだ。何の根拠もない自信を抱いていたのは、多分、自信の根拠が何もないという厳しい現実を、糊塗し誤魔化すために他ならなかったろう。約束されているはずの栄光の将来への道を阻みつつあると考えられた経済上の苦難にしても、現実にどの程度まで深刻なものだったのだろうか。実のところは、彼が自身に備わると信じる卓越性が現実よりも過大に評価されていたのと同じように、彼の経済上の困窮状態にしても、現実よりは過大に見積もられていたのではないか。小さな不幸が妄想の中で過剰に増幅されて、彼は何時しか悲劇の英雄と化していたのだ。何の現実的な根拠もないままに。(もちろん現実に卓越した能力があったところで殆ど報われないのかもしれない社会であるのは事実であるとしても。)
謎が一つ残った。彼の犯行の前提として二重に機能した連続強盗事件については劇中で解決されなかった。その犯人もまた千田川邦彦であるという可能性はあるだろうか。ないとは断言できないが、ないと考えた方が妄想のメカニズムを理解し易いと思われる。