アイシテル-海容第二話

日本テレビ系。ドラマ「アイシテル 海容」。第二話。
原作:伊藤実。脚本:高橋麻紀。演出:国本雅広。
人の死に直面したとき、そのことについて何の罪もないはずの周囲の人が、自身を責め苛んでしまうことがある。亡くなった小学二年生の「きよたん」こと小沢清貴(佐藤詩音)の姉、美帆子(川島海荷)が今その心境にある。美帆子は生前の弟を嫌っていた。「いなくなればよいのに」とさえ思っていた。だから本当に弟がいなくなった今、そのことを心から悔い、悲しみ、自身を責め苛んでいる。だが、そもそも美帆子が弟を嫌っていた理由は、母の聖子(板谷由夏)が余りにも弟ばかりを溺愛していたからだ。美帆子に問題があったわけではない。
人の心理や言動が常に明晰判明な法則性を有するわけではないとすれば、様々な要素に因るにせよ全体としては突発的としか云いようのないような不可解の事件についてその真の原因を、真相を、完全に解明することが容易ではないのは当然なのだ。
犯人の小学五年生、野口智也(嘉数一星)は、これまでの二話を見る限り、何かしら犯罪に走り易い性格を備えていたというわけではないと思われる。そういう描写が行われていると云えるし、演じている子役が美少年であること自体がそうした意図によるものであるのも確かだろう。彼を犯行に走らせた原因が幾つもの事実と多くの心理の極めて複雑な構造体であるところにドラマが成り立つわけで、そのゆえに完全な原因の解明は困難であるほかないが、同時に、原因の一部をなしたと見られる要素は至る所に幾らでも見出され得ることにもなる。犯罪に関して犯人の動機の解明が不要であり得る所以がここにある。やり出せば誰も裁けなくなるかもしれないからだ。
先週ここでは智也の母さつき(稲森いずみ)の人物像について述べたが、母の躾ができていないから子が犯罪に走ったのだ!と云えるわけではない。彼の父、和彦(山本太郎)についても同じことだ。だが、一見あたかも立派な父親であるかのように見えなくもなかった彼の陽気で豪快な面と、事件の直後から彼の表出し始めた冷酷で利己的な厚かましさとが表裏一体であることは一応ここで確認しておいてよいだろう。所謂「体育会系」の形姿や言動や人脈によって一流企業に就職できたと思しい「勝ち組」の彼は、恐らく、これまで勝つことしか知らないまま一直線に生きてきたのではないのか。なぜならそう思わざるを得ない程、彼は世間を知らなかったからだ。