侍戦隊シンケンジャー第十幕

職場からの帰途、平和通の日曜大工店に行って、やや小さめのスノコ三個を購入。帰宅後、吾が方丈のバルコニーに置いてある荷物三個をそれらの上に置き直して序でに少しだけ清掃もした。水を流せば風が涼しい。
パンとミルクを買うべく近所の店に行けば、レジにいた人の目元がどことなく門矢士(井上正大)に似て見えて、その格好よさに一瞬驚いてしまった。美男子は意外な場所に潜んでいることがある。
ところで。
東映侍戦隊シンケンジャー」。
第十幕「大天空合体」。脚本:小林靖子。監督:渡辺勝也
四月十九日に放送された回だが、今宵ようやく見ることを得た。五月二十四日放送の第十五幕から昨日の第十七幕までの三話も未見だが、流石に今宵は見る余裕がない。
さて、この第十幕ではシンケングリーン谷千明(鈴木勝吾)と、彼の主君にあたる「殿様」ことシンケンレッド志葉丈瑠(松坂桃李)に仕える家老、日下部彦馬(伊吹吾郎)との間の交流が描かれた。彦馬殿は千明に対しては予て厳しいことばかり云っていたが、その意は、千明を早く丈瑠のような立派な侍に育てたいとの親心にあった。しかるに丈瑠は家老の彦馬に対し、千明と俺とは違う!ということ、ゆえに教え方も自ずから異ならざるを得ないはずであることを述べた。
千明と丈瑠との境遇の違いについては、吾、第十三幕について感想を述べた際に論じたことがあるが、そこにおいて吾が説き明かした程度のことは、少なくとも千明の側の事情に関する限りは、既に第十幕において描かれていたのだということを今日ようやく知った。第十幕を見た人々にとっては自明でしかないことを、吾かなり延々と論じていたわけなのだ。
千明と丈瑠の違いというのは、要するに、千明にとって「侍」になるということは選択肢の一つでしかなく、実際、今年に入って初めて召集されるまでは「侍」になるとは思いもよらず、あくまでも普通の少年として生きていたのに対し、生まれながらの「殿様」である丈瑠にとっては、侍になることは人生の唯一の道であり、他の選択肢なんかあり得なかった…ということだ。千明が自身の「モヂカラ」である「木」の意味として「幹や枝を伸ばし広げてゆく自由」を見出したのは、まさしく彼自身のこれまでの生に意義を見出したということに他ならない。他方、丈瑠が己と千明とは違うということを云うとき、「侍」とは全く違った人生をも歩み得たにもかかわらず敢えて「侍」として生きることを選んで、しかも今や後悔もなく邁進しようとしている千明に対して、殆ど敬愛にも近い念を抱いていたのではなかったろうか。