仮面ライダーディケイド第三十話

東映仮面ライダーディケイド」。
第三十話「ライダー大戦・序章」。脚本:米村正二。監督:石田秀範。
平成「仮面ライダー」十周年を記念するこの番組も来週の第三十一話が最終回。だが、その最終回の予告編の映像には驚かされた。この物語において最も正義に燃えて友情に熱かったはずの小野寺ユウスケ(村井良大)が、悪魔的とでも形容するほかない邪悪な笑みを見せていたからだ。他人の笑顔を守ることで己も笑顔になることを得る彼は、物語の最終の局面において一体どうなってしまうのか。動揺しつつ、待たなければならない。
衝撃の展開は他にもあった。仮面ライダーブレイド=剣崎一真(椿隆之)が出現し、仮面ライダーブレイド=剣立カズマ(鈴木拡樹)が消滅した。
そもそも思うに、この物語「仮面ライダーディケイド」は、通りすがりの仮面ライダーディケイド=門矢士(井上正大)が複数の物語世界を、枠組を超越し飛躍して旅行し目撃し介入し補正してゆく一つの超越論的な物語であり、そこにおいては相互に異なる複数の世界の間の衝突や融合が生じる。だが、このディケイド物語における仮面ライダー世界、例えば「仮面ライダーブレイドの世界」は、二〇〇四年放送の「仮面ライダー剣ブレイド)」において生起して悲劇的に終結した物語の世界とも異なる。その意味において所謂「可能的」世界としての「ブレイドの世界」が少なくとも三つあるとも云える。かつてのブレイド(剣)、別のブレイド、そしてディケイドと衝突し融合したブレイド。換言すれば、剣崎一真のブレイド、剣立カズマのブレイド、そしてディケイド=門矢士等と出会ったのちの剣立カズマのブレイド
しかるに今、門矢士一行と出会ったのちの剣立カズマのブレイドの世界と、同じく門矢士一行と出会ったのちのワタル(深澤嵐)のキバの世界とが融合して、それぞれの「世界」の生き残りを賭けた相互の介入、衝突を始めた。さらにはそこに、同じく門矢士一行と出会ったのちのアスム(小清水一揮)の響鬼の世界も融合していた。そこに剣崎一真が出現したのだ。
だが、剣崎一真のブレイドの世界と剣立カズマのブレイドの世界との違いという問題は、「ディケイド」という番組それ自体に対しても所謂メタ言説的な立場にある吾等視聴者には自明であっても、この物語の内部で語られたことはなかった。なぜなら、恐らくは物語そのものにおいてその物語の限界をさえも語り出すことは物語の枠組それ自体をも破壊しかねないからだろう。
そう考えるなら、予言者=鳴滝(奥田達士)がこれまでは一貫して敵視してきたはずの「破壊者」の門矢士に対して今回ばかりは頭を下げて、世界の崩壊を止めて欲しいと依頼せざるを得なかった理由も、何となく大体わかるような気がしなくもない。鳴滝の見るところ、大ショッカーを暴走させたのは「ディケイドの所為」だとしても、既に暴走が始まった現段階では今さらディケイドの活動だけを妨害したところで手遅れであり、むしろ暴走を止めることができるのもディケイドの力だけであるのだろうか。鳴滝は「ディケイドの世界」の住人であり、ディケイドの世界において生起する複数の世界の保守管理人であるということだろうか。否、やはり全然わからない。
ともあれ、株式会社ボードの新社長に就任した剣立カズマと、ファンガイアの王に即位したワタルの両名に対してユウスケが「ワタル!カズマ!おまえら、これでよいのか?」と問いかけたのは、「仮面ライダーキバの世界」「仮面ライダーブレイドの世界」それぞれにおけるユウスケの情熱的な言動を想起させて、懐かしくもあった。
でも、ブレイドの世界とキバの世界との融合に伴う両世界間の戦闘中に、それぞれの敵側の連中を打倒し、換言すれば仲間たちを殺害されたカズマとワタルに対するユウスケの「おたがいさま」発言は、確かに事実ではあるが、当時のユウスケであれば決して口にしなかったのではないかとも思われる。ここにも「世界の破壊」が及んでいたと見るべきだろうか。他方、「士に手出しする奴は、僕が倒す!憶えておき給え」という仮面ライダーディエンド=海東大樹(戸谷公人)の言は、このところの彼の言動の延長上にある。彼は門矢士からの愛を独占したいと願望していて、ゆえに門矢士の大親友のユウスケを心から軽蔑し、門矢士と相思相愛の「夏メロン」ならぬ「夏みかん」光夏海(森カンナ)に嫉妬して、瀕死の夏海を心配する門矢士に「そんなに夏メロンが大事か?」と怒っていた程だからだ。