月九ブザービート第十話
フジテレビ系。月九ドラマ「ブザー・ビート」。第十話。
脚本:大森美香。演出:西浦正記。
最終回ならぬ最終章。最終回は来週だが、最終章と銘打つことで最終回だけは見ようとする人々を騙して見てもらおうという魂胆。どれだけの人々が騙されたことだろうか。
もっとも視聴者を欺こうとしている点では物語それ自体も同罪であるのかもしれない。「夢」に関する話についてそれが云える。
上矢直輝(山下智久)と白河莉子(北川景子)の二人は、それぞれの「夢」を諦めず追い求め続けてきた者同士で惹かれ合い、交際を始めたかのように表面上は物語られてきた。実際には(第八話において雄弁に表現されていたように)性的な快楽における相性のよさが二人をわずかな隙間もなく密着させ結び付ける決定打になった可能性があり、そう考えてこそ七海菜月(相武紗季)と上矢直輝との間の相性の悪さの正体も見えてくるわけだが、少なくともドラマが強調するのは、上矢直輝と白河莉子が「夢」を諦めない点において同じ道をゆく者であるということ、逆に七海菜月は「夢」よりも現実を直視すべきであると主張する点において彼等二人とは相容れない人物であるということだ。
ところが、今宵の最終章=第十話を見る限り、白河莉子の「夢」というのは甚だ怪しいと判明する。そもそも今までも「夢」のために特別な努力をしてきたわけでもなさそうであるし、何よりも奇妙なことには、万が一にも到達し得ないかもしれぬとさえ思われていた高邁な「夢」に近付き得る千載一遇の好機を、上矢直輝と一緒に過ごす愛欲生活の時間を存分に確保したいというだけの理由で放棄しようとしていたのだ。こんな馬鹿な話があるものか。
上矢直輝&白河莉子は、「夢」を馬鹿にする現実主義者の七海菜月を、その一点において許せないと云った。だが、少なくとも白河莉子にはそんなことを云う資格はなさそうだ。現実も見なければ「夢」も見ず、考えているのは愛欲のことだけだからだ。
そもそも両名が見ている「夢」は夢想ではなくて目標であるのだから、現実と「夢」を対立させる暇があったら、もっと現実を「夢」に近付ける必要があったはずだ。そうであれば白河莉子には音楽と恋の二者択一に迷う余地なんかあり得なかった。「夢」をともに育んでゆきたい恋人同士であるなら、「夢」の追求こそが恋の深化であり得るはずで、ゆえに二つの選択肢は実際には一致し得るはずだろう。職業生活に忙しくて「夢」から遠ざかることになるわけもなく、むしろ「夢」のために定職にも就いていない現状なのだから、なおのこと「夢」に向けて邁進する以外に道はない。