旅行記四東京国立博物館

五連休の四日目。旅行記四。
朝十時半にホテルから外出。上野恩賜公園へ。東京国立博物館の各種の展示を観照。
現在は東洋館が工事のため閉鎖中であるから普段よりも展示面積が大幅に縮小しているわけでもあるし、特別展示もない中で一日かけて見て回るわけだから一つ一つを存分に観照することができるだろう…と甘く見ていたのは失敗だった。閉館時間は夕方六時だったが、その二時間前の時点で既に時間の余裕の全然ない状態に陥っていて、かなり慌しく急ぎ足に回らざるを得なくなってしまった。
今回は、表慶館一階の「アジア・ギャラリー」(普段は東洋館で行っている展示を縮小して移設したもの)を最初に観照。もちろん印度ガンダーラ仏の美に見入った。ヘレニズムや古代ローマからガンダーラにかけての美術史・彫刻史の研究(分野としては「東西交渉古典考古美術史学」とでも云うのだろうか)を専門にしていたなら、どんなにか楽しかったことだろうか…と今さら思うことが時折ある。でも経典の研究とかは凄まじく大変そうだ。
昼一時頃に東洋館の脇の精養軒で昼食を摂り、平成館一階の休憩室で少し休憩したのち、同館一階の企画展示室における特集陳列「趙之謙とその時代─趙之謙生誕180年記念展」を観照してから本館へ移動した。本館二階の企画展示室における特集陳列「中国書画精華」には名品が並んでいて驚かされた。梁楷筆の「雪景山水図」(国宝)や同じく「出山釈迦図」(国宝)、伝馬遠筆の「寒江独釣図」(重要文化財)等は、中国絵画の名品であるのみならず日本絵画史上の名品でもあるだろう。伝毛松筆の「猿図」(重要文化財)や伝陳容筆の「五龍図巻」(重要文化財)には迫力があった。
次いで同館「日本ギャラリー」。先ずは二階の諸室を順に回った。
国宝室に出ていたのは平安時代末期頃の国宝「地獄草紙」。夏の怪談みたいなものか。古代中世の仏教美術展示室には、鎌倉時代の画「文覚上人像」(重要文化財)等。扇面画も綺麗だった。宮廷美術展示室には、藤原俊成藤原定家の一族である御子左家の分裂の事情を伝える藤原為家&藤原為氏筆の「譲状」(重要文化財)等。禅宗水墨画展示室には、雪舟等楊筆「四季山水図」(重要文化財)、伝狩野元信筆「祖師図」(重要文化財)等。南北朝時代の石室善玖賛「繩衣文殊像」が面白いので、気に入っている。屏風展示室には、深江芦舟筆「蔦の細道図屏風」(重要文化財)、「芦雁図屏風」、土佐光起筆「粟穂鶉図屏風」の三点。書画展開展示室では、野呂介石筆「秋景山水図」と広瀬台山筆「日金山頂望富嶽図」に特に見入った。広瀬台山の「日金山頂望富嶽図」に描かれる空間の大きさには、何時もながら圧倒される。曽我蕭白筆「牽牛花図」「葡萄栗鼠図」では、栗鼠の胴体の白い部分が、胡粉で描かれたかに見えながらよく見れば余白のままであることに感心した。田能村竹田筆「船窓小戯帖」(重要文化財)は、画面こそ小さいものの、密度が高い。狩野栄川院典信筆「鹿図扇面」の鹿も実によい。頼山陽筆「詩書屏風」のような字を書けると楽しいに違いない。
ここまで見た時点で閉館までの残り時間は乏しくなってしまっていたが、二階の諸室を一通り見てから、最近テレヴィドラマ諸作品の撮影場所として馴染みのあの帝王階段を下りて一階へ移動。一階の諸室も、急ぎ足にではあるものの一応は順番に一つ一つ眺めて回った。近代美術展示室を存分に見る余裕は全くなかったが、こういうときに限って名品が出ている。ことに圧巻と云うべきは、富岡鉄斎筆「旧蝦夷風俗」二曲屏風一双や岸田劉生筆「麗子微笑」(重要文化財)だが、寺崎広業筆「秋苑」、川合玉堂筆「月下擣衣」、曾山幸彦筆「試鵠」も名品であるし、小堀鞆音筆「春秋文武」六曲屏風一双も近代における保守派の精華として極めて価値が高い。これとは対照的に、長野草風筆「高秋霽月」は抽象画のような面白さがある。もっと存分に観照したいところだったが、時間がないので仕方ない。売店で図録二三冊を購入したあと近代美術展示室へ戻り、鉄斎や広業や鞆音や劉生を歩きながら眺めたのち館を出た。今回は法隆寺宝物館には入れなかった。
既に夜のように暗くなっていた上野恩賜公園を出て、パンダ橋を渡り、駅の近くのカレー店で夕食を摂って、明日の朝のためのパンをガード下のパン屋で購入してからホテルへ戻った。