NHK咲くやこの花第二話

NHK土曜時代劇咲くやこの花」。第二話「君がため」。
江戸の深川の漬物屋「ただみ屋」の娘こい(成海璃子)が、裏の長屋に住んでいる貧しく偏屈な若い浪人、深堂由良(平岡祐太)に名を訊ね、「由良」であると知ったときの、静かな、しかし大きな衝撃がこのドラマ固有の味わいを雄弁に物語る。その瞬間、こいは百人一首における曾禰好忠の歌「由良のとを渡る舟人かぢをたえ行衛もしらぬ恋のみちかな」を連想し、「行方も知らぬ恋の道」を行こうとしていることを自覚したのだからだ。
こいが師と仰いでいる町の女流の国学者、「嵐雪堂」主人の佐生はな(松坂慶子)は、愛弟子こいに「由良のとを」の妙味について問いかけ、こいの模範解答を聴くや、未だ真の意味を理解できていないようだと笑んだ。古典の真の意味を理解するには恋愛も含めた人生経験がそれなりに必要であることを云っているのだが、このことは逆の方向からも解され得よう。古典を知っていれば、人生における混沌として無定型なまでの様々な情念が、豊かに美しい表現を得ることもできるのだからだ。
その意味から云えば、昌平坂学問所の教授だった佐生嵐雪の愛娘はな先生を江戸城大奥の将軍家の姫君のための古典の指南役に推挙しようとした芦川藩主の門田伯耆守稲葉(寺田農)に対し、謹んで辞退する旨を申し出た佐生はな先生が、帰宅後、こいに語り聞かせた教育への思いは、その直後に生じるこいの心境の変容の予告であると同時に、このドラマに固有の妙味の解説でもある。
生まれながらに貴人であるしかない姫君を相手にするよりも、今後どのような人生を歩んでゆくことになるのか「行方も知らぬ」町の貧しい子どもたち相手に読み書き算盤や博物学を伝授することこそ、思わぬ奇跡を起こし得る楽しい仕事であると佐生はな先生は信じているが、無論そこまで話を大きくしなくとも、学問が人生における小さな奇跡を美しく明確化して幸福にし得るものであるのは間違いない。こいの「行方も知らぬ恋」の自覚がそうであるように。行方も知らぬ人生に灯火を差し出すのは知に他ならない。著名な学者の娘でありながら町人に交じり清貧に甘んじるはな先生は愛弟子こいにそのことを学んで欲しいと思っているが、それは経験によってしか学び得ないとも感じているのだ。
ところで、先週の第一話で、深堂由良と遭遇した三人の子どもたちは「嵐雪堂」佐生はな先生の教え子でもあった。彼等は今回、壊れた凧を由良に治してもらった。何時も空腹に耐えている貧乏な由良は無償の仕事を頼んできた子どもたちを「図々しい」と感じたものの、意外に子ども好きであるのか、それとも凧好きであるのか、あっさり引き受け、楽しそうに作業をしていた。子どもたち三人はどうやら由良のことを武士とも知らず、凧屋だと思っているらしいのが面白い。
子ども三人中の一人が蝉丸(小川竜平)であることは先週ここに触れた。あとの二人は、猿丸(梅本ハルヤ)と小町(原舞歌)。もちろん何れも百人一首に因んでいる。猿丸太夫の歌は「おくやまに紅葉踏分なく鹿の声きくときぞあきは悲しき」。小野小町の歌は「花のいろはうつりにけりないたづらに我身よにふるながめせしまに」。
小町の母は、しま(濱田万葉)。「しま」(島)を詠んだ歌としては、参議篁「わたのはら八十嶋かけて漕出ぬと人にはつげよあまのつりぶね」と源兼昌「淡路嶋かよふ千鳥のなく声に幾夜ね覚ぬすまの関守」があるが、案外、小野小町の歌の「ながめせしまに」の「しま」であるのかもしれない。
こいの母そめ(余貴美子)の漬物屋「ただみ屋」と、隣人の信助(佐野史郎)の鰻屋「金森屋」(それぞれ壬生忠見平兼盛に因んでいる)の前で世間話をしていた三人組の名は、やす(松澤一之)と竜(みのすけ)と玉(宍戸美和公)。三人の名の典拠を考えてみよう。「やす」は、赤染衛門「やすらはでねなまし物をさよ更てかたぶくまでの月を見しかな」だろうか。「竜」は、在原業平朝臣「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くゞるとは」か、それとも能因法師「あらし吹三室の山のもみぢばゝ竜田の川のにしきなりけり」だろうか。「玉」はもちろん式子内親王「玉のをよ絶なば絶ねながらへば忍ぶることのよはりもぞする」で間違いないだろう。
第二話の題「君がため」も百人一首に因んでいるが、典拠については該当する歌が二首ある。光孝天皇「君がため春の野に出て若菜つむわが衣手に雪はふりつゝ」と、藤原義孝「君がためおしからざりし命さへながくもがなとおもひぬる哉」。何れでも意味は通じるが、このドラマの新春らしい長閑な雰囲気には光孝天皇の歌が似つかわしいかもしれない。
ともかくも、このドラマの語り手をつとめる百人一首の撰者「京極黄門」藤原定家(中村梅雀)が云うように、次週以降の展開を「焼くや藻塩の身も焦がれつつ」楽しみに待つのみ(権中納言定家「こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ」)。

百人一首 (角川ソフィア文庫)
百人一首研究集成 (百人一首注釈書叢刊)
後水尾天皇百人一首抄 (百人一首注釈書叢刊)
百人一首註解 (百人一首注釈書叢刊)
龍吟明訣抄 (百人一首注釈書叢刊)