NHK咲くやこの花第四話

NHK土曜時代劇咲くやこの花」。第四話「嵐吹く」。
江戸の深川の漬物屋「ただみ屋」の娘こい(成海璃子)の、裏の長屋の若い浪人、深堂由良(平岡祐太)に対する「忍恋」が明るみに出てしまった。こいと母そめ(余貴美子)との親子喧嘩が惹き起こされ、こいは何時になく激情を表して家出して、由良のもとへ走り、一緒に生きたいと願ったが、由良は、こいへの恋心を敢えて抑えて、こいの将来の幸福を思い、心を鬼にして夜雨の中、こいを追い返した。まさしく激動の展開。
こいの「忍恋」は、少し前までは平兼盛の「しのぶれど色に出にけり我恋は物や思と人の問迄」に近い状態にあったが、ここで一気に壬生忠見の「恋すてふ我名はまだき立にけり人しれずこそ思ひ初しか」へ変わったのだ。
こいを深堂由良のもとへ走らせた激情は、身の破滅をも恐れない強さにおいて元良親王の「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ」を想起させるかもしれないが、こいの行動は「わびぬれば今はた同じ」と云ったような冷静な判断によるのではない真直ぐな情熱にのみ駆られたものであり、その意味においては、むしろ百人一首の百首中でも屈指の名歌として知られる式子内親王の「玉のをよ絶なば絶ねながらへば忍ぶることのよはりもぞする」に近いと云うべきだろう。
こいは由良に抱き付いて、「あなたがわたしを、こんな風に変えてしまったのです」と訴えた。恋による人の心の変容を詠んだ歌としては、権中納言敦忠の「あひ見ての後の心にくらぶればむかしは物をおもはざりけり」や、藤原義孝「君がためおしからざりし命さへながくもがなとおもひぬる哉」があるが、何れも恋の成就が恋心をさらに深める意を詠んだものであって、今のこいの想いとは少し異なる。むしろ陽成院の「つくばねの峰より落るみなの川こひぞつもりて淵となりぬる」を連想してもよいのかもしれない。
こいの「忍恋」が急に発覚したのは、それを偶々目撃して知った「金森屋」しの(寺田有希)が、それをこいの母そめには決して云わないことをこいと約束していたにもかかわらず、約束を破ってそれを暴露したからだった。しのは、今回の大江戸小倉百人一首歌かるた腕競の勧進元に他ならない日本橋の豪商、「百敷屋」呉服店に昨年まで奉公していて、どうやらそこの若旦那、順軒(内田滋)に片想いを抱いていたようだが、当の順軒は腕競の深川之部の準決勝戦で目立っていた「ただみ屋」こいに一目惚れしていて、わざわざ深川の「ただみ屋」にまで会いに来た程だった。そのことが、しのの心に嫉妬の炎を燃え上がらせた。こいと順軒との縁談を壊したくて、浪人との「忍恋」のことを暴露してしまったのだ。
この「百敷屋」順軒の名が、父の徳兵衛(大和田伸也)と二人合わせて、順徳院「百敷やふるき軒端のしのぶにもなをあまりあるむかし成けり」に因んでいることについては第一話に際して述べた。順軒は軽薄ながらも陽気な人物で、こいへの思いを「君がため漬物屋に来て若菜買ふわが衣手に銭はたんまり」と表現し、「我家はカルタの肝煎百敷屋よを順軒と人はいふ也」と自己紹介した。もちろん前者は光孝天皇「君がため春の野に出て若菜つむわが衣手に雪はふりつゝ」、後者は喜撰法師「我庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふ也」のパロディ。なかなかの傑作だ。
ところで。今回の新たな登場人物として、八重(久保麻里菜)、なつ(佐藤史果)の名があったが、恐らく両名は腕競の深川之部の準決勝戦におけるこいとしのの対戦相手だったろうか。
さあ、今週も早速、両名の名の典拠を百人一首で探してみよう。「八重」は、恵慶法師「やへ葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えねあきは来にけり」か、それとも、伊勢大輔「いにしへのならの都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」か、何れかだろう。「なつ」は、日本国の建国者の一人とも云うべき持統天皇の歌「春すぎて夏来にけらし白妙のころもほすてふあまのかぐ山」か、清少納言の曽祖父にあたる清原深養父の「夏の夜はまだ宵ながら明ぬるを雲のいづくに月やどるらむ」か、或いは『新古今和歌集』撰者の一人で権中納言定家のライヴァルでもある従二位家隆の「風そよぐならの小川の夕暮は御禊ぞ夏のしるしなりける」か、何れかだろう。
激動の第四話の内容をよく表した題「嵐吹く」は、能因法師「あらし吹三室の山のもみぢばゝ竜田の川のにしきなりけり」に因んでいる。
ともかくも、このドラマの語り手をつとめる百人一首の撰者「京極黄門」藤原定家(中村梅雀)が云うように、次週以降の「行方も知らぬ」展開を、「焼くや藻塩の身も焦がれつつ」楽しみに待つのみ(権中納言定家「こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ」)。