NHK咲くやこの花第六話

NHK土曜時代劇咲くやこの花」。第六話「花さそふ」。
江戸の深川の漬物屋「ただみ屋」の娘こい(成海璃子)に、二つの大きな事件が生じた。一つは、こいが師と仰いでいる町の女流の国学者、「嵐雪堂」主人の佐生はな(松坂慶子)が江戸深川を去りゆくことを表明したこと。もう一つは、「ただみ屋」の裏の長屋に住んでいる貧しく偏屈な若い浪人、深堂由良(平岡祐太)が何者かによって襲撃されて浅手ながらも負傷したこと。これら二つの事件は多分、こいの胸中で深く関連していたろう。なぜなら、あたかも「夜道を照らしてくれていた月」のような恩師との離別の悲しみと空虚感は、こいを、愛する人をこれ以上は決して失いたくないという思いへ駆り立てたに相違ないからだ。
深堂由良が襲撃された夜の、翌朝。こいはその知らせを聞いて慌てて裏の長屋へ駆け付けて云った。「もしかしたら、もう、もう会えないのか?と」不安に駆られたと。「由良様、急にこいの前からいなくなったりしないでください」という訴えはそのまま、こいが嵐雪堂はな先生に対して云いたかった意でもあるだろう。
こいに対する由良の「わかった。わかったから泣くな。わたしには志がある。それを遂げるまでは死ねん。わかるだろ?おまえも志を持って戦っているのだから」という語が、こいを慰め得た。
注目すべきは、嵐雪堂はな先生がこいに「だけど、あなたなのですよ。わたしに心を決めさせたのは」と云ったことだ。これと似た語を聞いた憶えがある。第四話でのこと。こいは由良に抱き付いて、「あなたがわたしを、こんな風に変えてしまったのです」と訴えたのだ。由良への恋心がこいを変えて、その激情が今度は嵐雪堂はな先生に昔日の自身の恋心をも想起させて再燃させたのだ。人の心が別の人の心へ伝わってゆく。媒介するのは、古典の伝える昔の人の心。万葉時代から鎌倉時代に至る様々な人々の歌を集めた小倉百人一首の言葉を程よく織り交ぜながら繰り広げられるこのテレヴィドラマ自体の心を、ここに見ないわけにはゆかない。
愛弟子こいに自身の思いを伝えた嵐雪堂はな先生は、障子を開け、月夜の庭を眺めた。月の光に照らされて、桜の花が雪のように舞い散る景色がそこにはあった。無論それは百人一首における傑作中の傑作とも云うべき名歌、入道前太政大臣こと西園寺公経の「花さそふあらしの庭の雪ならでふり行ものは我身なりけり」の歌意に他ならない。そしてそれは嵐雪堂さそふはな先生の今の心境そのものでもあった。「老いて、古くなってゆくものは、わたし自身。この歌の気持ちが心から解る日が来るなんて、若い頃は思いも寄りませんでした」。
古りゆく者は我が身なりけり…と感じた嵐雪堂はな先生は、今、学問に明け暮れた若き日に見失ってしまった唯一度の真の恋心を探し求めるべく、旅立つことを決意した。
昔日の佐生はな女の恋の相手は、某藩の御典医の子として生まれて湯島の昌平坂学問所で修業していた若き学者、畠田雅道(倉貫匡弘)。これまでも述べてきた通り、この物語の登場人物に確りした名が与えられている場合、それは大概、百人一首に因んでいる。この「畠田雅道」の名は多分、左京大夫道雅に因んでいよう。「みちまさ」を「まさみち」にしたのだ。こう考える根拠は、左京大夫藤原道雅の歌の意にある。「今はたゞおもひ絶なんとばかりを人づてならでいふよしもがな」。この「人づてならでいふよしもがな」(人伝てでなく、直接お話できる方法はないものか)というのが、佐生はな先生の決意をよく表しているではないか。
小倉百人一首の歌が、人の様々な心を表してゆくところにこのドラマの妙味がある。
その意味で、恩師はな先生との離別という事実を前に、こいが抱いた「何だか怖いの。これまで夜道を照らしてくれていた月が、雲に隠れてしまうみたいで。真暗な道を歩いてゆかなければならないみたいで」という思いも、かの紫式部の「めぐり逢て」の歌とは何一つ意を共有しないにもかかわらず、源氏物語の巻名にも使用された「雲がくれ」という極めて印象深い語を通して、微妙にあの歌を連想させると云えるかもしれない。「めぐり逢て見しやそれ共分ぬまに雲がくれにし夜半の月影」。
なお、嵐雪堂はな先生は、深川の寺子屋「嵐雪堂」の将来を愛弟子こいに託すると同時に、ここに学んでいた子どもたちの教育については当面、「川向こうの山川先生」に託することにした。この、劇中には登場していない「山川先生」の名は、春道列樹の歌「山川に風のかけたるしがらみはながれもあへぬ紅葉なりけり」に因んでいるだろう。
日本橋の豪商、「百敷屋」呉服店の若旦那、順軒(内田滋)の今週の替え歌は「此たびは先ずはとりあへず手向山金銀にしき髪の間に間に」。これはもちろん菅家こと「天神」「菅公」菅原道真公の歌「此たびはぬさもとりあへず手向山紅葉のにしきかみのまにまに」のパロディ。
今宵の第六話の題「花さそふ」が入道前太政大臣藤原公経の名歌「花さそふあらしの庭の雪ならでふり行ものは我身なりけり」に因んでいることは今さら云うまでもない。
ともかくも、このドラマの語り手をつとめる百人一首の撰者、「京極黄門」こと権中納言藤原定家卿(中村梅雀)が繰り返し云うように、次週以降の「行方も知らぬ」展開を「焼くや藻塩の身も焦がれつつ」楽しみに待つのみ(「こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ」)。

百人一首 (角川ソフィア文庫)