アンダルシアのアリストテレス主義者と予言者ノストラダムス

樺山紘一『地中海 人と町の肖像』。全六章に分かれ、地中海をめぐる様々な都市や村を舞台に、歴史の章ではヘロドトスイブン・ハルドゥーン、科学の章ではアルキメデスプトレマイオス、聖者の章では聖アントニオスと聖ヒエロニュモス、真理の章ではイブン・ルシュドとマイモニデス、予言の章ではヨアキム・デ・フィオーレとミシェル・ド・ノートルダム、景観の章ではカナレットとピラネージを主人公にして歴史の物語を繰り広げる。
イブン・ルシュド(アウェロエス)とマイモニデスを中心に、中世、イベリア半島アンダルシアにおけるアリストテレス主義の展開を論じる第四章は、イブン・スィーナー(アウィケンナ)や聖トマス・アクィナスをも登場させて、まるで豪華出演陣の共演の観を呈する。都市コルドバにおいて共生の関係にあったはずのキリスト教ユダヤ教イスラームの、それぞれの内にも三者の間にも生じた十二世紀の半ば以降の論争や抗争をも絡めて、実にドラマティクな物語になっている。
他方、昭和生まれの日本人にとって極めて興味深いのは第五章。予言者ノストラダムスことミシェル・ド・ノートルダムの言説を、予言の的中した事例として知られる当時の事件と照合するだけではなく、むしろその三百五十年前のヨアキム・デ・フィオーレの言説と対比させて、予言という言説形式が歴史とともにどのように変容したかを明らかにしている。ノストラダムスを所謂オカルトから解放してルネサンス人文主義の風土へ帰してやるべし!という主張には説得力がある。
ところで、予言者ノストラダムスは、十七世紀フランス文学を代表する名作、ラファイエット夫人の小説『クレーヴの奥方』にも登場する。青柳瑞穂の訳による新潮文庫版(昭和六十一年第四十三刷)で引用すると、先ず第二巻で、国王アンリ2世が「決闘で殺される」という全く当りそうもない馬鹿げた予言をして占星術の信憑性のなさを露呈した「占星術では非常に評判の高い男」として、当の国王自身によって語られるが(p.88)、第三巻では急転直下、その国王が本当に、王女とイスパニア王との結婚式に際して開催された馬上槍試合において不慮の事故で死去してしまい、宰相は「かつて王の運命を予言した者があったのを思い出した」(p.175)。

地中海―人と町の肖像 (岩波新書)
クレーヴの奥方 (1956年) (新潮文庫)
クレーヴの奥方 (新潮文庫 ラ 4-1)