NHK咲くやこの花第十話=最終回

NHK土曜時代劇咲くやこの花」。第十話=最終回「今は春辺と」。
江戸の深川の漬物屋「ただみ屋」の娘こい(成海璃子)と、こいにとっては最も尊敬する国学の師、「嵐雪堂」主人の佐生はな改め大奥学問指南役の花嵐松坂慶子)とが対戦した小倉百人一首歌かるた決戦。征夷大将軍徳川家斉寺泉憲)御前で繰り広げられた名勝負は、互角のまま札二枚のみを残すところにまで至った。残った二枚は奇しくも「行衛もしらぬ恋のみちかな」と「あしのまろやに秋風ぞ吹」。それぞれの上の句は、「由良のとを渡る舟人かぢをたえ」と「夕されば門田の稲葉をとづれて」。驚くべきかな、この二枚はそのまま、旧梶緒藩家老の嫡男、深堂由良(平岡祐太)と、彼にとっては父の仇であり主家の敵でもある芦川藩主の門田伯耆守稲葉(寺田農)との対決を表してもいたのだ。
これら二首がともに一文字目「ゆ」で始まり、二文字目の「ら」と「ふ」で違いを明らかにする歌であることも、歌かるた腕競の勝負を熱くした。深堂由良と門田伯耆守稲葉との対決は、実に宿命的でさえあったのかもしれない。
そして忘れ難いのは、門田伯耆守稲葉に対する深堂由良の無血の仇討が成就の兆しを見せ、こいと花嵐との師弟の勝敗も熱く華々しく決した瞬間、あたかも嵐のような強風に吹かれでもしたのか、満開の桜の花が吹雪のように一斉に舞い散って、春の江戸城の中庭を、白く染め抜いたあの情景。「花さそふあらしの庭の雪ならでふり行ものは我身なりけり」ではないが、まさしく花の嵐と形容するほかない。
小倉百人一首の歌に見立てた情景としては、もう一つ、こいが、侍の地位を取り戻した深堂由良との再会を果たし、喜びの余り抱き付いたとき、近くの川を渡っていた小船の漕ぎ手がその様子に驚いて見惚れて船の舵を迂闊にも手放してしまい、慌てていたところを挙げなければならない。それが「由良のとを渡る舟人かぢをたえ行衛もしらぬ恋のみちかな」の歌意を表していることは云うまでもない。
あらゆる点で満ち足りた最終話で、全十話を構成した様々な要素が見事に一つに収束した感がある。その晴れやかな気分を、このドラマの語り手をつとめる小倉百人一首の撰者、京極黄門こと権中納言正二位藤原定家卿(中村梅雀)とともに、「いまは春べと咲くやこの花」と形容してもよい。
ちなみに、今週の百敷屋順軒(内田滋)の替え歌は「奉公の私の心にくらぶれば鰻は物をおもはざりけり」。門田伯耆守稲葉とともに過去の罪に問われた百敷屋徳兵衛(大和田伸也)の破局に伴い、呉服屋の若旦那から一転、財産こそ失ったものの勘当されて自由の身となり、深川の「ただみ屋」の隣の鰻屋「金森屋」に奉公して生活し始めた彼の心境を語るこの歌は、権中納言敦忠の「あひ見ての後の心にくらぶればむかしは物をおもはざりけり」のパロディ。
第十話=最終回の題「今は春辺と」は、権中納言定家卿の小倉百人一首の歌でこそないものの、小倉百人一首歌かるたの大会では空札として冒頭に朗詠されることの多い名歌、古今和歌集の仮名序のよみ人しらず「難波津に咲くやこの花冬ごもりいまは春べと咲くやこの花」に因んでいる。

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