旅行記三清荒神清澄寺鉄斎美術館

旅行記三。
朝八時前には目を覚まし、普段通り「仮面ライダーW(ダブル)」第三十三話を見た。感想を述べるのは明日、五月三日になるだろう。
朝十一時、荷物をまとめてホテルの宿泊室を引き払った。できれば三泊四日の旅行にしたかったのだが、生憎、どういうわけか、この五月二日だけはどこのホテルも満室で、宿泊を設定することができなかった。ゆえに今回は二泊三日で終わり。ホテルを出る前に、その玄関の脇にあるケーキ店に入り、苺ロールとカフェオレで休憩。既に十二時の少し前だったので、梅田駅の食道街にある寿司店で昼食。阪急電車清荒神へ向かう前、先ずは荷物をどこかのコインロッカーに預けようと思ったが、梅田駅も大阪駅も探し回ったものの、どこも全て使用中。同じようにコインロッカーの空きを探し求めて歩き回る云わばコインロッカー難民は大勢いたようだった。仕方なく、荷物を抱えたまま行くしかないと決意し、切符を買って改札口の中へ入ったところ、空いているコインロッカーを直ぐに幾らでも見出し得た。今後のためにここに記しておこう。
このように時間を少々無駄にはしたが、多分一時頃だったろうか、梅田駅を出発。しかるに残念なことに電車内で寝てしまい、目を覚ましたのは清荒神駅を過ぎた直後。そのまま終点の宝塚駅まで行かなければならなかった。とはいえ幸い、目的の駅は一駅前であるから慌てる必要もなく、同じ電車に再び乗車して引き返し、わずか二三分後、清荒神駅で降車。
清荒神清澄寺の鳥居をくぐり、参道を登り、諸神仏に参拝して一事について祈願したのち、二時二十分頃だったろうか、鉄斎美術館へ入った。
現在開催中の鉄斎美術館開館三十五周年記念特別展は、前期展「鉄斎の富士」と、後期展「鉄斎-豊潤の色彩」の二本の企画から成る。前期展をその会期の最終日にあたる四月十一日に拝見したことについては当時ここに記した。後期展は五月九日まで開催されているが、これには、辰馬考古資料館蔵の重要文化財富岡鉄斎筆「阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図」六曲屏風一双が出品されている。これを蔵する辰馬考古資料館においてさえ、一双を並べて広々展示することができないため、一双を揃えた完全な形で観照することができるのは実に三十年振りのことだとか。だから何としてもこの機会に見ておきたかったのだ。
富岡鉄斎水墨画の名手であると同時に無類の色彩主義者でもあることは昔から云われてきたことだが、今回の展覧会が「豊潤の色彩(いろどり)」と題されたのは単にそのことを表しているだけではなかった。玄関ホールの脇の休憩所にある展示ケースには毎回その時々の展覧会企画の趣旨に合わせて参考資料が並べられるが、今回はそこに鉄斎旧蔵の絵具が展示されていた。紙に包んだり木製の箱に収めたりして、その表面には伝来等が記されたりもしている。聴けば、初公開だそうだ。鉄斎といえば自身を画工ではなく学者であると称していたことが知られるが、実のところ、絵具の品質に対する彼の薀蓄は本職の画家たちをも凌いでいたのではないかとさえ思える。彼における「学者」「学問」とは、多分、そうした絵具や技法の研究と研鑽をも含めた意味で理解されるべきであるに相違ない。
重要文化財阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図」の華やかでありながら爽やかに透明感のある色彩の美は、彼のそうした学問の深さを見事に表出したものであるだろう。極めて濃厚な彩色かと見えるが、よく見ると驚異的なまでの薄塗り。色を厚く塗るのではなく、墨を必要最小限に抑えることで絵具の色を輝かせている。しかもその抑制された墨によって山の立体感や空間の奥行、広がりは強力に描き出されている。
稀少で貴重な絵具を最小限度で使用してその効果を最大限に活かし、わずかな絵具で画面の全体を華やかさで満たしてみせる鉄斎の表現力の見事な例としては、鉄斎美術館蔵「群僊集会図」も挙げたい。濃厚な群青色の輝かしさが余りにも印象的だが、白梅の表現も巧いと思う。花弁をまばらに点じたほかはその周辺に微かに白を重ねてあるに過ぎないが、仙境に白梅が満開である様子を効果的に表している。
京都国立博物館蔵「蓬莱仙境図・武陵桃源図」六曲屏風一双では、色彩の美よりも緻密な描写が観る者を圧する。右隻の蓬莱仙境は、巨大な丸い山が東海の波間に浮かび上がり天へ伸び上がろうとするかのような力強さがあるが、左隻の武陵桃源は、この仙境を俗界から遮るかのような巨大な岩山の向こう側に平和な風景が果てしなく広がってゆくような穏やかさがある。唐獅子狛犬風神雷神や仁王の阿吽ではないが、鉄斎の山水図屏風では固まりと広がり等の対比を楽しませる。前期展に出品されていた鉄斎美術館蔵「富士山図」六曲屏風一双や京都国立近代美術館蔵の「富士遠望図・寒霞渓図」六曲屏風一双がその例だが、後期展で云えば、鉄斎美術館蔵「青緑山水図」六曲屏風一双が、右隻の、上から下へ旋回しながら右から左へ伸びてゆくかのような山と、左隻の、下から立ち上がったかのような山の群とを対比させている。
個人蔵「蝦夷人図屏風」六曲一双は、大和絵風の山水の中でアイヌの祭と生活を描いているが、注意すべきは所謂「異時同図法」を用いていて絵巻物のような構成になっていること。構成においても描写においても古代の大和絵を志向している。これは鉄斎がアイヌの民の生活に太古の聖帝の理想国家を重ね合わせていたことを物語るだろうか。それは勤皇の志士の理想でもあったろう。
夕方五時の少し前に美術館を出て山を降りた。清澄寺の参道を登ったり降りたりしていると、まるで自分自身が鉄斎の蓬莱仙境図の登場人物になったかのような気分になる。「山は蓬莱に似て人は僊に似たり」。清荒神駅から梅田駅へ戻り、コインロッカーから荷物を取り出したあと、できれば梅田駅の食道街の洋食店で夕食を摂りたいところだったが、そうすると松山には最終便で帰らざるを得なくなってしまうし、乗り継ぎのための待ち時間も長くなってしまうので、洋食店には寄らずにJR大阪駅へ直行。八時二十九分に新大阪駅を発って岡山駅を経由して十時三十三分に松山駅へ帰着。