旅行記一宝塚清荒神清澄寺鉄斎美術館開館三十五周年記念粉本展/京都新京極誓願寺

旅行記一。
本日は休日。明後日も休日。その合間の明日は出勤を要する日だが、一日の夏季休暇を取って三連休にする。なぜなら宝塚の清荒神清澄寺にある聖光殿の鉄斎美術館で五月十二日から開催されていた開館三十五周年記念「鉄斎-粉本に見る学びの跡」が本日で終了するので、何としても今日中に見に行く必要があったからだ。
今朝六時頃に起きてそれを決意し、慌しく旅行の準備を整えて宿泊先を決めて九時半頃に家を出発。十時二十分にJR松山駅を発って岡山駅で新幹線に乗り換えて新大阪駅へ至り、大阪駅へ着いたのは二時半頃。梅田駅から阪急電車清荒神駅へ急行。参道を急ぎ登り、鉄斎美術館へ到着したのは三時四十分頃だったから観照の時間は約一時間しかなかったが、なるべく一通りは見た。
中で興味深かったものの一つは「雉子図」粉本。原画は誰の作だったのか、判らないようだが、鉄斎がそれを模写したのは安政元年(一八五四)鉄斎十九歳のとき。現在までに知られている限り鉄斎の最も若い画であるとか。模本としては今一つかと見えるが、その後の粉本の数々を見ると、中国伝来の山水画にしても仏画にしても日本の中世の大和絵肖像画にしても、それぞれの作品の真に迫っている。例えば印度風の装身具を身に着けた「釈尊出山図」の中国画をいかにも中国画風に模写していて、筆致までも実にそれらしいが、その粉本に基づいて本画「釈尊出山図」を制作するや、どこをどう見ても鉄斎の画風に変容している。
他方、有名な「後醍醐天皇像」を見ると、極めて忠実な模写であるにもかかわらず帝の顔がどこか違っているように見える。一体どこが違うのか?と考えるに、顎鬚の生え際が少し違うことから顔の太さ、幅が違って見えるのかもしれない。「叭々鳥図」粉本は沈南蘋の「叭々鳥図」の要素を写しながら構成を変えているので、比較して見る甲斐がある。
夕方五時頃に清荒神駅をあとにして、梅田駅へ移動。駅の「食道街」にある洋食店で夕食を摂ろう!と思っていたが、残念ながら定休日だったらしい。仕方なく別の魚料理店の天麩羅で夕食。そして再び阪急電車で今度は梅田から京都の河原町駅へ移動。夜七時半頃、四条河原町のホテルへ入り、荷物を解いたあと外出して周辺を散歩。新京極を歩いていたら寺の門前で呼び込みがあり、門内を覗けば立派な華やかな様子。寺の名は誓願寺。二年前の秋、京都国立博物館で「誓願寺縁起絵巻」の磨き抜かれた造形の典雅で瀟洒な美に感銘を受けたことがあったが、あの誓願寺か。芸道の寺としても知られるそうなので、或る若いアイドル候補生が今後デビューを果たして大成功を収めるよう祈願した。