ドン★キホーテ第七話

日本テレビ系。土曜ドラマドン★キホーテ」第七話。
鯖島組や鰺沢組に対する上位の組織である京浜連合。その第五代総長の鰯原修三(鈴々舎馬風)が倒れた。飲酒していたとき、急に咳き込んで倒れたのだ。七十歳の高齢であるから、急に咳き込んで体調に不良を感じるようなこと位はあったとしても不自然ではないかもしれないが、それで急に一大事になったとしても、やはり不自然ではないかもしれない。城田正孝(松田翔太)の姿をした鯖島仁(高橋克実)が、心配の余り、鯖島仁の姿をした城田正孝を連れて見舞いのため鰯原邸へ駆け付けたのは当然だろう。彼等が到着したときには既に鯵沢卓巳(小木茂光)も到着していた。
鯖島仁と鯵沢卓巳は現在、第六代総長の座をめぐって争っているから、第五代が後継者を決める余裕もないまま急に亡くなるような事態にもなれば、争いは激化せざるを得ない。そうした中で鯵沢卓巳がどのような思いを抱いて見舞いに訪れていたのかは、生憎、この劇中には描かれなかった。しかし後継者問題を念頭に置いて行動していただろうことは自明だろう。なにしろ鯖島仁がそうだったからだ。
とはいえ、少なくとも鯖島仁は、それだけで行動したのでもなかった。なぜなら彼にとって鰯原修三は文字通り育ての親のようなものだったからだ。鯖島仁が京浜連合に入ったのは中学生のとき。どのような経緯によるのかは定かではないが、広壮な鰯原邸に住み込んで、長い廊下の拭き掃除等の労働をさせられ、厳しく躾けられながら大人になった。
大人になった鯖島仁は、早く独立して一家を立ち上げたいと願望し、幾度も幾度も鰯原修三に許可を求めていたが、鰯原修三は長年にわたり常にそれを却下し続けていた。問答無用で。なぜだろうか。鯖島仁が未熟だったからだろうか。そうではなかったとは断言できないが、想像するに、そうであるよりはむしろ鰯原修三は鯖島仁を手放したくなかったのではないだろうか。
そのように感じさせるのは、無論、城田正孝の姿をした鯖島仁が鰯原修三の肩を叩いていた場面に他ならない。
城田正孝と鯖島仁との身体が入れ換わってしまった事実はどこでも常に奇妙な状況を生じてしまっているが、今回の鰯原邸への見舞においても、京浜連合とは何の関係もないはずの城田正孝が、他の誰よりも鰯原修三のことを最も深く心配し、理解し、献身してしまっていた中、肝心の鯖島仁はそれを傍観しているだけのような状況が生じていた。鯵沢卓巳が不審に思うのは当然だろう。ところが、意外なことに鰯原修三はそれを全く不審には思わず、むしろ当たり前のように城田正孝を傍に置いていた。
そして問題の場面が来た。鯖島仁…の姿をした城田正孝が鰯原邸を留守にしていた間、城田正孝の姿をした鯖島仁は、鰯原修三の肩の凝りを癒すため肩を叩いていた。そのとき鰯原修三は、昔から鯖島仁の肩の叩き方が己にとっては最高に心地よいことを、鯖島仁に対して語りかけたのだ。城田正孝の姿をした鯖島仁を、彼は鯖島仁その人であると認識していた。そして鯖島組の若い衆が実に楽しそうに活動していること、鯖島組が立派な、魅力ある一家であること、ゆえに鯖島仁にはもはや教えることは何もないとさえ思えること等を語った。
もちろん城田正孝と鯖島仁との身体が入れ換わっている事実を、鰯原修三が認識したはずがない。そんなことはあり得ない。城田正孝の肩の叩き方が鯖島仁の肩の叩き方そのものであり、同一であることを確信し、ゆえに肩を叩いてくれている間の城田正孝を、その間、鯖島仁であると思い込んだに過ぎないだろう。しかし同じように、どういうわけか鰯原修三の傍にいて色々孝行しようとする城田正孝の言動にも鯖島仁その人の気配を感じていたに相違ない。だからこそ、京浜連合に何の関係もないはずの城田正孝を、何一つ疑うこともなく当たり前のように傍に置いていたのだ。
鰯原修三は、子どもの箸の持ち方一つを見て、その子の躾けられ方、育ち方、家庭環境までも想像できる人物である以上、城田正孝の姿をした鯖島仁の言動に接したとき、たとえ姿形こそ赤の他人の城田正孝であろうとも、その言動の全てに、己が三十年以上も育ててきた鯖島仁の個性が表れていることを見逃すはずがない。