八幡神-軍神と大菩薩/自称人工衛星の自爆

八幡大菩薩という神を知ることなくしては日本の古代を解することができないことを、飯沼賢司著『八幡神とはなにか』を読んで知った。
天平時代の、聖武天皇光明皇后との間の権力闘争はもともとは皇族と藤原氏との間の抗争だったのだろうが、菩薩国家の実現という聖武天皇の志を継いだ称徳天皇の時代に、それが道鏡事件へ発展するや、皇統の断絶と存続とをめぐる抗争、さらには女のシャーマニズムと男の卜占との抗争にまで発展してしまったのは、実に歴史の皮肉と云うほかない。今日の女性宮家創設論と称する女系皇統創設論の跋扈を考えるとき暗澹とした気分にさえなる。
国境を守る軍神として辺境に祀られた八幡神は、大仏建立による菩薩国家の樹立のために聖武天皇によって召喚されて政治の表舞台に登場したのち、一時は、失意の内に崩御なさった聖武上皇に重ねられ、その怒りを鎮めるべく大菩薩の称号を捧げられたが、やがて国際情勢の不安定化の中で、応神天皇と重ねられることで、その母の、国境の防衛に成功した神功皇后とも結び付き、大菩薩であると同時に軍神でもある二重性が実現した。
八幡神の歴史を考えることは、万世一系神仏習合、国境、移民、国際化等、今日の問題が古来の問題であると知ることに繋がる。古代の賢者がどのような決断を下してきたか、その知恵に学んでおく必要があるだろう。

八幡神とはなにか (角川選書)

ところで。
北方の左翼過激派暴力団国の人工衛星と称する爆弾は自爆に終わった。世界一頭の悪い政治家を防衛大臣に戴く吾国の余りにも無防備な現状は露呈されたが、ともかくも、敵国側の作戦が無能で惨めな失敗に至ったのは不幸中の幸い。救われた。鎌倉の武士であれば、神風が吹いたのだ!と形容するだろう。道後八幡宮伊佐爾波神社と護国神社に感謝を申し上げよう。