旅行記三/清荒神清澄寺鉄斎美術館粉本展と次回展覧会
旅行記三。
目を覚ましたのは朝九時二十五分。昨夜の宴席でも既に眠かった位だったから仕方ないが、ホテルの食堂の朝食サーヴィスは九時半で終了するので大いに焦り、大急ぎ食堂へ駆けたところ快く入れてくれたので安堵した。程々に食べて十時前には宿泊室へ戻り、荷物をまとめてホテルを退出。
十一時二分にJR京都駅を発って新大阪駅を経て大阪駅へ。新装なった大阪駅を初めて見た。JR大阪駅から阪急電車の梅田駅への移動も快適になっていた。梅田駅を発って清荒神駅へ着いたのは十二時十分だったろうか。鳥居の前にある茶店の黒ゴマきなこアイスクリームで休憩したあと、鳥居をくぐり参道を昇って清荒神清澄寺の山内へ到着。山門の内側にある休憩所で緑茶のサーヴィスを受け、諸仏諸神へ拝礼したのち、鉄斎美術館へ。
今月八日の月曜日まで開催されている展覧会「鉄斎の粉本-花鳥禽獣を写す」を観照。会場の入口で偶々久し振りに御顔を拝し得た方と暫し会話。重要な話を拝聴し得て大いに考えさせられた。それにしても、富岡鉄斎の粉本の展覧会は毎年の恒例だが、見る度に感心させられる。伊藤若冲の糸瓜群虫図や椿椿山の名花十友図を模写したものは、鉄斎の画家としての眼力や価値観をよく伝えるが、近衛家熙の戯画巻の模写は、国学者としての宮廷文化への関心を伝えるのだろうか。様々な動物の画があるが、それらは動物の姿そのものへの関心とともに、動物の姿態を巧みに描き出した古人の表現力への関心をも表している。稀代のユニークな芸術家の、最晩年にさえも怠ることのなかった修業の深さを知ることができる。とはいえ辟邪降福を願う鍾馗図の見事な粉本と大迫力の本画を並べてあるのを見ると、手本に基づいているにしても狂いなく端麗なデッサンによる粉本から、豪胆な筆墨と彩色による完全な個性の表出までの間の圧倒的な飛躍には、やはり驚嘆するしかない。
ところで、来る十月十六日(火)から十一月二十五日(日)までの間、この鉄斎美術館では「鉄斎の旅-富士山図屏風と桜巷堂・柴田松園-」と題する展覧会の開催を予定していて、そのポスターが既に掲示され、チラシも配布されていた。傑作中の傑作の誉れ高い大迫力の富士山図屏風(六曲一双)が展示されるのに加えて、四国の愛媛の松山の三津浜の、所謂「三津の朝市」の賑わいの様子を描いた名作、三津浜漁市図も出品される。何としても見に来なければならないと決意した。
夕方四時頃に美術館を出て史料館にも寄ったあと休憩所で再び緑茶のサーヴィスを受けてから山門を出て参道を降りて清荒神駅へ。丁度、梅田行の電車が到着したので急ぎ乗車。梅田駅から大阪駅へ歩き、新幹線等の指定席を指定して新大阪駅へ移動し、五時二十九分に新大阪を発って岡山駅を経て松山駅へ着いたのは夜九時半。帰宅後、直ぐに洗濯を始め、明日の朝食のための炊飯の準備。日常生活へ帰るのは極めて迅速。