仮面ライダーゴースト第三十三話
平成仮面ライダー第十七作「仮面ライダーゴースト」。
第三十三話「奇跡!無限の想い!」。
この物語は天空寺タケル(西銘駿)が殺害されたところから始まった。以後、天空寺タケルの死の状態には、一見あたかも矛盾しているかのようにさえ見える二重の意味があり続けてきた。一方においては、彼は既に死んでいるのだからどんな攻撃を受けても今さら死ぬことはないという(とても便利な!)側面が描かれ、他方においては、既に死んでいて不安定な状態にあるから完全に消滅するのも時間の問題であるという(甚だ居心地の悪い)側面も描かれてきたのだ。この二重性によって彼は今までにも消滅の危機に見舞われながら逆に復活する好機を獲得してきた。今回もそうだった。
しかし彼に対する人々の想いがある限り彼が復活し得るというのは、理屈としては何となく理解できなくはないが、そうであるならどうしてもっと早く復活しなかったのか。なぜなら彼に対する人々の想いは、一瞬たりとも消えたことがなかったのであるから。
要するに、よく解らない話だったとしか云いようがない。
もう一つ、よく解らない話があった。天空寺タケルの消滅の仕方を想起した深海マコト(山本涼介)とアラン(磯村勇斗)は、天空寺タケルの死の状態が少し前までの自分たちの存在の仕方と同じだったのではないか?という考えを述べたが、どういうわけか、月村アカリ(大沢ひかる)は即座にそれを否定し去ったのだ。
深海マコトとアランの仮説を採るなら、天空寺タケルの本体は眼魔界に保管されていて、その本体を取り戻し得れば天空寺タケルは完全に復活し得るのだろうと予想できるわけだが、そのような可能性を、月村アカリは却下した。どういうわけか。
月村アカリが提出した根拠は、天空寺タケルが殺害されたとき身体が消滅してしまったということに他ならない。だが、これは奇妙な論理だ。普通、人間が亡くなれば霊魂はどこかへ去っても身体のみが遺るが、天空寺タケルの場合、霊魂は辛うじて残ったが、身体はどこかへ消え去ってしまっていたのだ。ゆえに、本体は眼魔界へ持ち去られてしまい、霊魂=ゴーストだけが人間界に留まったのだと考える方が、理に適っていると云うべきではないのだろうか。