藤子・F・不二雄大全集SF異色短編第二巻&第三巻/白亜荘二泊三日における航時法違反とドラえもん

昨日購入した藤子・F・不二雄大全集『SF・異色短編』全四巻中の第二巻と第三巻を一気に読んだ。
実に傑作の数々で、たとえ「ドラえもん」を創造しなかったとしても、これだけでも巨匠と評価されるに値したのではなかろうか?と思われると同時に、「ドラえもん」の長閑に見える世界がその基底において如何に恐ろしい論理を秘めているかをも想わずにはいない。様々な人々の前に唐突に出現しては奇妙なカメラを売り付けようとする謎の時間旅行者ヨドバ氏(『SF・異色短編』第二巻)は、暗黒のドラえもんであると云える。
第三巻の巻末に掲載されている望月智充の解説文は、アニメーション作家として「宇宙船製造法」や「ミノタウロスの皿」をアニメ化した経験から、藤子・F・不二雄の漫画におけるアニメ化し得ない漫画ならではの表現の力について具体例を挙げて論じていて、これも面白い。
ところで。藤子・F・不二雄のSF(スコシフシギナ物語)では時間旅行が取り上げられることが多く、時間旅行の話においては「航時法」という法の存在が想定されることがある。例えば『SF・異色短編』第三巻所収「白亜荘二泊三日」にも航時法の存在が明言されるし、「ドラえもん」でも語られる。しかし、もし航時法があるなら、「ドラえもん」におけるドラえもんの行動は全て航時法に違反してはいないか?という疑問が生じる。雑誌『Fライフ』第二号に発表された浅羽通明の論文「なぜドラえもんのび太のところへしか来ないのか?」はそうした疑問をも踏まえた上で、ドラえもんによる野比のび太に関する未来の変更(子孫セワシから見るなら過去の改変)は歴史に何の痕跡も残さないことがタイムパトロール本部によって認識され、黙認されているのではないか?という解釈を提起している(同誌98-99頁)。しかし、たとえ歴史に何の痕跡も残さないとしても航時法には違反しているのであるから、それがなぜ黙認されているのかの説明を欠いているのが惜しいし、藤子・F・不二雄自身の作品である「白亜荘二泊三日」(『SF・異色短編』第三巻211-236頁)は、全く別の解釈を示唆しているように思われる。この話に登場する四人家族は、夏休み、白亜紀への二泊三日の旅行の許可を得て大いに満喫していたが、無邪気に遊んでいた中には明白な航時法違反が一件あった。それは犯罪であるはずだが、それによって逮捕されたのかどうかは描かれていない。しかし望月智充が述べるように、藤子・F・不二雄漫画の妙味は最後の一コマにある。多分、白亜荘に滞在した四人家族が罪に問われることはなかったろう。それどころか、「千二百倍の抽選」を勝ち抜いて彼等だけが白亜紀への旅行の権利を獲得したのは、むしろ彼等による航時法違反が待望されていたからこそではなかったろうか。なぜならそれは歴史の不可欠の一部に他ならないから。そうであるなら、ドラえもんによる過去の改変(未来の変更)についても似た事情があったろうと想定される。