橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり二夜連続特別企画の前編

今宵、橋田寿賀子脚本によるテレヴィドラマ、二夜連続特別企画「橋田壽賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」前編が放送された。後編は明日の夜に放送される。録画しながら観たが、実に、老巨匠の筆力が今なお雄健であることを認識し得た。
今回、物語の発端をなしたのは小島家ラーメン店「幸楽」を継承し、発展させようとしている田口愛(吉村涼)が、店の大幅な拡張を企て、両親の居住空間の大半を(寝室のみを残して)召し上げることを決定したことにある。両親を近所のマンションへ追い出し、「幸楽」を一ヶ月間にわたり休業して早速、拡張工事を始めた。
こうして「幸楽」小島家に急に生じた一ヶ月間の長期休暇。小島勇(角野卓造)は婿の田口誠(村田雄浩)と一緒に曙オヤジバンドの活動に没頭し始めたが、小島五月(泉ピン子)は趣味もなく友もなく、生来の貧乏性から何の消費にも欲がなく、仕方なく長男や姑、小姑、妹、姉の家を次々訪ね歩いては、どこにも己の居場所がないことを痛感させられた…というのが全体の話の流れ。
この構図が巧妙であるのは、今まで長期間にわたって激動の展開を連発してきた結果、どんどん拡散してゆくばかりだった物語世界内の幾つもの拠点を、小島五月の流浪を通して次々に眺望し、一つに繋ぎ止め得た点にある。小島家と岡倉家それぞれから派生した複数の家にはそれぞれなりの複雑な事情と奇妙な物語があり、それぞれを続けて深めてゆこうとするなら、どうしても複数の物語を並行させることにしかならない。それは云わば複数の物語の羅列でしかない。しかるに今回、小島五月の流浪を主題に据えたことで、複数の家それぞれの物語を自然な形で一つに繋げた。しかもそこにおいては、仕事の外に生き甲斐はあるのか?という問題を、仕事と家庭との関係という問題も絡めて、一貫して追求してみせたのだ。
小島五月は仕事と家庭にしか興味がないが、仕事を失ったことで家庭をも見失った。仕事を失って初めて、家庭が既に崩壊していたことに気付いたと云ってもよいのかもしれない。
高橋文子(中田喜子)は再婚相手の高橋亨三田村邦彦)と一緒に旅行会社を経営し、いつでも一緒に仕事を進めていて、一見いかにも上手く行っているようではあるが、実は仕事の進め方について微妙な衝突があり、それが夫婦仲にも響いているように見受けた。仕事を生き甲斐にしてきたからこそ、二人は一度は仕事のゆえに離婚したのち、仕事を通じて復縁したのだが、生き甲斐については妥協できない点があるのも当然であり、今や再び仕事のゆえに仲違いを始めていたのだ。これに対するに、大原葉子(野村真美)も同業者の大原透(徳重聡)と一緒に家庭と会社を営んではいるが、実は一緒に働いてはいない。同じ建築家としてライヴァル関係にあり、それぞれ別々に働いているが、反面、家庭と会社は同じ場所にあり、家族団欒の時間がないわけではない。家事と子育てを家政婦に任せてしまう程にも仕事を優先してはいるが、そうであるだけに、希少な家族団欒の時間をこの上なく大切にしてもいるらしい。高橋家と大原家は、似ているようで、大いに異なる。この対比が面白い。
橋田壽賀子得意のアクロバティクな変化を見せたのは、波乱の牙城である高級料理店「おかくら」を守る本間家。本間長子(藤田朋子)は長らく実家「おかくら」における己の仕事を優先し、家庭を顧みようともしなかったが、ここに来て急に家庭を気にし始め、「おかくら」の廃業を決意した。しかるに、前々から「おかくら」を継承したいと願ってきた娘の本間日向子(大谷玲凪)が当然これに反発し、岡倉大吉の忠実な家臣だった青山タキ(野村昭子)は本間日向子に同調し、板前の森山壮太(長谷川純)とその妻で有馬温泉の後継者でもある長谷部まひる(西原亜希)は本間日向子のため協力し続けることを申し出て、結局、本間英作(植草克秀)が「おかくら」継続を決定した。要するに、今まで仕事を生き甲斐にして家庭を蔑ろにしてきた本間長子が、仕事を捨てて家庭に帰ることを決意した途端、却って家庭から孤立する格好になったのだ。
視聴者の想像を絶するのはもちろん野田弥生(長山藍子)。血の繋がらない者同士で肩を寄せ合って生活する大家族というのが近年の野田家の方針だが、今やそれがとんでもない方向へ来ていた。長女に家出をされ、長男を勘当し、長女の子である孫の野田勇気(渡邉奏人)を引き取り、さらに長男の嫁の野田佐枝(馬渕英俚可)と、この嫁の連れ子の野田良武(吉田理恩)をも引き取ったことで始まった方針だが、この方針に慣れ切った野田勇気は、家族愛に飢えている友を見付けるや、どんどん家に連れてきてしまうらしい。しかも彼は今や中学生。中学生の彼は、同じく中学生の友を何人も十何人も家に連れ帰り、一緒に家庭教師の授業を受け、一緒に夕食を食べる毎日。野田弥生と野田佐枝は大勢の中学生のための夕食を拵えるため大忙し。一人一食三百円という予算で遣り繰りをしているということで、その工夫も大変だろうが、費用の工面も楽ではないに相違ない。しかも野田弥生は、この新展開に対応するため、生き甲斐だったはずの保育園の仕事を退職してしまっていた。もはや何をやっているのかも解らない状況だが、多分、家庭がどんどん拡張したことで家庭が仕事に等しくなり、家庭が生き甲斐になったということだろう。
余暇の余技は、仕事よりも大切な活動であり得る。野田弥生の血の繋がらない大家族がその例だが、同じく小島勇と田口誠のオヤジバンドもその例になる。
しかるに小島勇の娘であり田口誠の妻である田口愛は、仕事、ことにその目的の一である銭儲けにしか重要な価値を見出していないように見える。田口愛は金銭に熱心である点では仕事に熱心だが、ラーメンに熱心であるわけではない点で、実は仕事に熱心でもない。田口誠に対して理解が一切ない点や両親に対してどこまでも冷酷になり得る点では、家庭に熱心であるようにも見えない。オヤジバンド活動に熱心な田口誠が、ラーメン作りにも情熱を注いで仕事に熱心であるのみならず、舅と仲よく、姑にも優しく、妻にも甘くて家庭を大事にしてもいるのと比較すると、余りにも正反対な夫妻だったことに気付かされる。
今宵の前編の最後に惹き起こされた爆発は、まさしく田口誠と田口愛の間のこの正反対の人生観という点に仕組まれていたのだ。「幸楽」と小島家に対する小島五月の愛着を踏みにじり、順調に拡大して多くの人々に喜ばれつつある曙オヤジバンド活動の意義を踏みにじって小島勇の情熱と体面を踏みにじった傲慢な田口愛に対し、ついに田口誠が怒り、直ちに離縁をさえ申し渡した。普段は温厚な田口誠の、いつになく怒った形相の恐ろしさ。田口誠の役に村田雄浩が起用された理由は、この瞬間だけのためではなかったかと思われた程。まるで時限爆弾のように今さら効果を発揮した配役の上手さも凄いが、平穏に流れた話の最後にこんなにも途轍もない爆発を仕込んでみせた橋田寿賀子の発想と筆力には、圧倒されざるを得ない。
田口誠の怒りの爆発の直後、さらに畳みかけるように視聴者を襲ったのは、羽田健太郎作曲の壮大な主題曲「渡る世間は鬼ばかり」に付けられた歌詞。「冷たい涙雨が、そぼ降る日は、渡る世間は、鬼ばかり、それでも良いの」(?)。歌うのは「いなかっぺ大将」こと天童よしみ