只管怠惰に過ごしたのち辛うじて書店に行って映画館にも行った休日

 休日。昨夜は久し振りにテレヴィドラマ「渡る世間は鬼ばかり」を観たが、しかも途中からはtwitterで随時感想を書きながら観ていた。たとえ書く場所がtwitterであっても、書くにあたっては過去の登場人物や展開について記憶違いをなるべく避けるため一応の確認をせざるを得なかったが、その所為で色々想起したことがあった。ことに強烈に想起せざるを得なかったのは、二〇〇八年十月二日放送の第九部第二十六話(二時間スペシャル)における森光子のこと。ハワイ在住の森山珠子(森光子)が緊急帰国した際、親父バンド奏するカンカン娘に合わせて能楽の如く幽玄な舞を見せた場面。幾度も想起してしまう。陽気なのに寂しく、哀しいのに爆笑させる幻の名場面。今あらためて確認してみるに、森光子の逝去はあの放送の四年後であるから、あの名場面についてtwitter上に「最晩年の森光子が親父バンド奏するカンカン娘に合わせて能楽の如く幽玄な舞を見せた場面」と書いたのは少々事実誤認だったということになる。確認が足りていなかった。
 さらにこのテレヴィ番組の録画を視聴し直した流れで何時になくテレヴィを点けたままにしていた所為で、昼、NHKの「ごごナマ」という番組を偶々見てしまった。今日のその番組の客演は、岩崎宏美八神純子。懐かしい。司会の船越英一郎は自身の出世作である往年の人気番組「火サス」のエンディング主題歌「聖母(マドンナ)たちのララバイ」があの番組の印象を深くしていたことを明晰に論じ、あの美しい歌がなかったなら今の自分はなかったと思っている旨を発言したが、率直に言ってその通りだと思う。
 こうして色々怠惰に無為に過ごしている内に夕方になってしまったが、今日こそは小学館てんとう虫コロコロコミックス「怪盗ジョーカー」第二十六巻(最終巻)を買わなければならないと決意し、エミフルMASAKIへ出かけた。
 エミフルMASAKI内の書店で先ずは小学館の児童男子の書棚で「怪盗ジョーカー」第二十六巻を見付け、次いで「マギ」の第三十五巻と「マギ シンドバッドの冒険」第十五巻を求めて小学館の少年男子の書棚へ行けば、肝心の場所で延々立読みを続ける迷惑な女子あり、仕方ないので背後から必死に棚の上下を見回して探していたら、どうやら何か痴漢の類かと怪しまれたらしく、無事買物を終えて書店を出たとき前方にいたその女子がこちらを認識して睨み付けるや逃げるように走り去った。あんな少女になんか興味ないのに、甚だ心外。むしろ迷惑な立読みを辞めろ!と告げたい気分だった。
 ともかくも、所期の目的を達成して、そのまま帰っても良かったが、折角の休日、本当は色々予定していたのに何もなし得ないまま夕方を迎えたのは流石に残念であるので、ここは一つ、十日振りに「典道くん」を観ておこうと思い、エミフルMASAKI内のシネマサンシャインで映画「打ち上げ花火」を鑑賞することにした。まさかの三回目。約十日前にも述べたように、「エロい」のは典道であり、なずなよりも典道であると重ねて主張したい。
 書店で時間を浪費したのでシネマサンシャインMASAKIに着いたのは六時半の少し前。券売所で券を買い、暫くのちにホット抹茶オレを買ってから上映室へ。連休後の平日の夜だったが、入場者は三人。
 六時四十分から「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を鑑賞した(三回目)。
 感想については別稿。
 観終えたあとの夜八時半頃。シネマサンシャインMASAKIの玄関脇の壁面と、玄関内の入口脇には上映中の映画のポスターが掲示されているので、帰る前に「打ち上げ花火」のポスターを(今日のtwitterに用いるため)撮影しておこうと思ったが、生憎どこにも見当たらなかった。どうやら撤去されたらしい。続々公開される新作のために場所を譲った格好だろう。
 それで不図、入口脇に掲示されていた映画「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」4DX版のポスターをよく見れば、キャスト四名のサインが記されていた。実に貴重。
 フードコートへ行けば既に八時で営業終了して、場内にはそれ以前に注文を終えていた人々が残っていただけ。場内の端の出入口付近には「四国初ポケモンストア」の大きな看板。仮設の壁面で覆われたその場所がポケモンストアになるのだろう。いよいよ今週末OPENか。楽しみ。
 長居しても仕方ないので古泉駅へ戻り、郊外電車と市内電車を乗り継いで道後まで戻り、大学に近い食料品店でバナナと珈琲牛乳を買って帰宅。