anego・アネゴ

日本テレビ系ドラマ「anego・アネゴ」。林真理子原作。中園ミホ脚本。制作協力オフィスクレッシェンド篠原涼子主演。第八話。
冒頭の京都風景の美しさが見所の一つだった。あのような情趣に富んだ絵を撮るのは元来オフィスクレッシェンドの最も得意とするところだろう。大概、美しい景色の映像は現実の景色の美を充分には捉え切れないものだが、美しい景色の美しい映像は現実の景色の美をも凌駕し得る。
さて、野田奈央子(篠原涼子)の悲劇の始まりは前回までの七話で完全に準備完了していた。概ね堅実で幸福だったはずの生活は第七話に至り一気に暗転したが、その激変には確かに必然性があったと云える。いくつもの原因が連関して一体化し巨大な結果を生じたが、諸原因の核に沢木絵里子(ともさかりえ)の狂気があるのは明白だ。その狂気は物語の初期において既に、少なくともその兆候を垣間見せていたと認められよう。例えば第二話では絵里子は、あたかも夫の沢木翔一(加藤雅也)を奈央子と不倫させようと仕掛けるかのように行動していた。その意図が何であるのか定かではないが、ともかくも云えるのは、翔一と奈央子との関係を徒に煽ったのは当初は絵里子自身だったと云わざるを得ないということだ。
黒沢明彦(赤西仁)の涙の意味は何だろうか。彼は「アネゴ」=奈央子を一体どのように見ていたのだろうか。そして一体どのように見ているのだろうか。彼は翔一と絵里子が離婚の危機に直面していると絵里子から聞かされ、さらに「アネゴ」が翔一と不倫関係にあるとも聞かされたことで、「アネゴ」に「魔性の女」としての正体ありと思い込み、かなり傷付いたようだ。ここから分かるのは(1)彼が不倫を許さない健全な常識ある男であること、(2)絵里子の言動を全く疑っていないこと、(3)奈央子を頼れる「アネゴ」として信頼したいと願望していたこと、しかるに(4)奈央子をどこまでも信頼してみようとまでは流石に思っていないらしいこと等だろう。だが、どうして奈央子に早々に失望してしまったのか?と考えるに、一つには事件の全貌を認識していないからだろうが、それ以上に、むしろ奈央子の側こそが早々に彼に失望したからでもあるだろう。奈央子三十三歳の誕生日の夜、奈央子は黒沢に結婚を申し込み、彼はそれを直ぐには受け容れなかった。検討する猶予として「五年間」欲しいと応えたのだが、それによって奈央子がどれだけ恥ずかしい思いをしたかを彼は理解しない。それで奈央子は失望した。その失望に黒沢も失望したのではないかと思われる。両名にはもともと年齢の差という問題に起因する互いに対する微妙な誤解があり、それが微妙な不信感を生じていて、故に、相手の誠意をどこまでも信頼してみよう等という考えを両名とも互いに持ち合わせてはいなかった。だから早々に互いに失望したわけだ。要するに彼は奈央子を結局は「アネゴ」としてしか見ていなかった。従って黒沢のあの涙は、憧れの「アネゴ」の突然の終焉、喪失に接したことによる悲しみの表出であると思われる。「アネゴ」は幻想でしかなかったと知ったのだ。
だが、そのことは黒沢にとって奈央子との決別を導くだろうか?無論そうであるとは限らない。むしろ幻想の「アネゴ」の一旦の終焉によって却って生身の奈央子を見詰め直す可能性が拓かれたのかもしれないからだ。