大河ドラマ風林火山第十八話

NHK大河ドラマ風林火山」。原作:井上靖。脚本:大森寿美男。音楽:千住明。主演:内野聖陽。演出:清水一彦。第十八回「生か死か」。
由布姫(柴本幸)の庵を訪ねた甘利虎泰竜雷太)と三条(池脇千鶴)。二人の訪問者について由布姫は「敢えて私に討ち取られるため」に来たのだと述べた。深い言だが、視聴者を惑わせる言でもある。
(一)甘利虎泰は、武田家から諏訪の姫を遠ざけるため、己を犠牲にすること、そのために姫に差し出した己の刀で文字通り「討ち取られる」ことを覚悟していた。由布姫を武田晴信市川亀治郎)の側室に迎える意図は甲斐と諏訪との縁を深めることにあり、それを阻止するかのように姫に自害を求めれば諏訪の恨みを買うのが必然。それでもなお諏訪を納得させることができるためには甲斐の側も犠牲を払う必要があったはずだ。甘利は自らがその犠牲者になることを覚悟していたに相違ない。しかるに姫は甘利の覚悟を見抜いて、そしてその忠義の深さに感動し、或いは殆ど恐れ戦いた。ここに生じていたのは男女二人の豪傑の心理の死闘に他ならなかった。
(二)これとは対照的に、三条は決して「討ち取られる」ことを予め覚悟していたわけではない。一人の女として一人の女を激励し、また勝者の妻として敗者の娘に慈悲をかけ、さらには晴信の正室としての立場から、側室になるべき者を温かく迎えようとしていただけだろう。しかるにそうした優越感に裏付けられた慈悲心は、由布姫の庵の柱に掲げられていた晴信歌の短冊を見たことで徹底的に粉砕された。女には殆ど愛情を注ごうともしないかと見えた晴信が、その歌の中では未知の姫を率直に恋焦がれていたのだからだ。嫉妬に駆られて三条は、由布姫に対して蔑みの言を投げ付けた。それは敗者の女に対する勝者の女の本音だったろうが、本音の蔑みを表明するのは勝者の(そして高貴の家に生まれた)女には相応しくない行動だったと云わなければならない。三条は負けたのだ。結果、「討ち取られた」わけなのだ。
ともあれ、三条が由布姫に慈悲心をかけ、晴信の側室として迎えようとしたこと自体も、三条にとっては己の立場を危うくすることではあり、その意味においてはそもそも三条が由布姫を訪ねること自体が、三条にとっては自身を傷付けることにしかならなかったはずだ。由布姫は無論そのことをも理解していたろう。家を守るため、自ら犠牲者となることを選んだ甘利と三条。両名それぞれの覚悟の程を理解し得たとき既に姫も決意を固めつつあったろう。
そこにおいて山本勘助内野聖陽)の語った亡き妻=ミツ(貫地谷しほり)の思い出、そしてミツと子の生命を奪った敵への憎しみ、しかし「憎しみだけでは生きてゆけぬ」と諭してその憎しみを、憎しみだけを「討ち取って」心身を解放してくれた晴信への思いが、姫の決意に対する力強い応援として響いたのは必然だったに違いない。