受験の神様第五話

日本テレビ系。土曜ドラマ「受験の神様」。
脚本:福間正浩。音楽:池頼広。主題歌:TOKIO「本日、未熟者」[作詞&作曲:中島みゆき]。プロデューサー:西憲彦(日本テレビ)&鈴木聡(ケイファクトリー)&渡邉浩仁(日テレアックスオン)。製作協力:日テレアックスオン。演出:大谷太郎。第五話。
西園寺義継(森本龍太郎)に対する菅原道子(成海璃子)の「見込み無し」の宣告には二段階の意味があった。入学試験で出題される傾向にある問題の種類を把握してそれに対する答え方を「公式」のようなものとして暗記してしまうという彼の方法は二段階にわたり駄目であるからだ。
第一には、把握し得た問題の範囲から外れた問題には全く対処できない。関連して云えば、そもそも眼前の問題が予め把握し得た解答法の何れかに包摂され得るのかどうかを適切に判定し得なければならないが、それは暗記の権能を超越している。ここにおいて暗記を超えるため、或いは暗記を活用するためにも「考える力」が必要であると知る。
しかるに第二に、基礎的な能力としての考える力のみに頼っていては時間が足りなくなる。単に試験における制限時間の問題には止まらない。人生の問題でもあるはずだ。そもそも人類が何十年も何百年も何千年も費やして蓄積してきた知の遺産を、わずか一人の人生の、しかも少年時代のわずか数年間の生活の限られた時間の中で自力で追体験するということは到底できる相談ではない。学習し記憶すること=暗記することを疎かにしていては何事も始まらない。入学試験で出題される傾向にあると認められることだけを抜き出してそれらだけを暗記しておけば事足りるわけではない。出題されるかどうかに関係なく知っておいた方がよい類のことは何でも全て知っておいた方がよい。中学受験に限定して云えば、小学校六年間で学習すべきであるとされている類のことは何であろうとも全て暗記しておいたとしても、暗記し過ぎたことにはならないのだ。