大河ドラマ風林火山第四十六話

NHK大河ドラマ風林火山」。第四十六回「関東出兵」。
越後の長尾景虎Gacktガクト)は関東管領=上杉憲政市川左團次)より家督を継承し「政」の字を受けて上杉政虎と称したが、それに先立つ関東出兵の宣言のとき、越後へ駆け付けた長野業政(小市慢太郎)に対する景虎の態度は、人の上に立つ者としての彼の危うさを存分に示していた。ああいうのを現代用語では「KY」(空気読めない)と云うのだろう。義父や配下の諸将の様々な感慨の充満していた濃厚な空間で彼一人のみ、その熱さ、深さを感受できていなかったのだ。これでは人の上に立つ者として失格だ。或る意味において上杉憲政よりもダメな君主であると云われても仕方ない。これでは誰も付いてはゆけない。こうした危うさ、ダメさ加減は、鎌倉鶴岡八幡宮における関東管領就任式典のあとの凱旋行進のときの、下馬をしなかった成田長泰(利重剛)に対する彼の酷い仕打として爆発したわけなのだ。
景虎は、小田原城の攻略で難航していた中、人質として連れてきた成田の妻の伊勢(井川遥)の前で格好よいところを見せようとして城の前で一人、地面に座り、漆塗の見事な盃で酒を飲んでみせた。己こそが軍神の化身であり、神仏の加護を最も正当に受ける者(=カリスマ)であるということを、片想いの女の前で証明したかったわけだ。それを見た北条氏康(松井誠)は、「吾等は斯かる敵と闘っていたのか」と驚いていた。だが、それは必ずしも景虎のカリスマ性への感嘆ではない。むしろ景虎の狂気に対して呆れ果てていたのだと見るべきだろう。確かに狂人相手に立ち向かうのは怖い。
甲斐では武田信玄市川亀治郎)と諏訪の由布姫(柴本幸)との間の子、四郎こと諏訪勝頼(池松壮亮)の元服式典が挙行された。もちろん志摩(大森暁美)も出席。烏帽子親の大役をつとめた山本勘助内野聖陽)も、成長した勝頼の凛々しさ、美しさに見惚れているようだった。
そして武田軍は小田原城の北条家の後方支援のため関東へ出兵し、同時に長尾=上杉軍との決戦に備えて、海津城代として最前線を守る香坂弾正虎綱(田中幸太朗)の許へ勘助も駆け付け、戦略を練った。ここでの両名の対話二つが何れも実に面白かった。来るべき川中島の決戦を勝頼の晴れやかな初陣の舞台としたい考えの勘助に対し、香坂弾正は、越後に対する当地の備えが未だ充分ではなく危険であること、ゆえに武田家の後継候補として勝頼の身を温存しておくためには出陣を控えるべきであることを述べた。この言は二つのことを物語っている。一つは、諏訪勝頼を武田家の世継にしたいという構想を両名が共有していること。もう一つは、勘助の手法を香坂弾正が確り受け継いでいること。そもそも軍略を構想するにあたり敵陣に乗り込んでまでして現場の状況を把握しておくのは勘助の流儀だったが、今回は、川中島の近くで城を守る香坂弾正がその流儀に倣い、現場の知に基づいて意見を述べたのだからだ。ここにおいて勘助は、一方では、謀略によって武田家を強大化させてきた己の流儀が今や謀略の効かない戦闘において武田家を危機に追い込みかねないことを知り、大いに悔んでいたが、他方、軍師としての己の思考の方法を若い香坂弾正が見事に引き継いでくれていることを再確認できて、内心どこかで喜んでもいたのではないだろうか。勘助が、「春日源五郎!」と呼びかけたあと「香坂虎綱!」と云い直したとき、かつて浪人時代の勘助の前に鮮烈な姿を現した艶めかしい美少年の堂々たる武将への成長に対する喜びを噛み締めていたのかもしれない。
もう一つの対話も傑作だった。勘助に対する尊敬の念を改めて表明した香坂弾正に対し、勘助は、年齢を尋ねた上で、三十四歳にもなって嫁を取らないのは何故か?女人には興味ないのか?と尋ねた。このときの香坂弾正の慌てよう!その意味は明白だ。慌てながらも香坂弾正は、主君=信玄への忠誠を尽くすために身も心も捧げているのだと応えた。勘助と同じだ。こうした生き方、考え方と云うか、言い訳の仕方までも勘助によく似ているところを勘助も喜んだようだ。どうやら勘助は、己の妻になろうとしていたのを養女として迎えた原虎胤(宍戸開)の娘リツ(前田亜季)の婿殿として、彼を狙っているようだ。この上なく素晴らしい選択。これ以上の婿殿はない。しかし女人に興味のない男に恋した挙句その養女にされたばかりか、さらには女人に興味ない男の嫁にされようとしている人生というのは一体どうなのだろうか。