月九ガリレオ第九話

フジテレビ系。月九ドラマ「ガリレオ」。
原作:東野圭吾探偵ガリレオ」et「予知夢」。脚本:古家和尚。音楽:福山雅治菅野祐悟。演出:西坂瑞城。第九章前編。
見ていて何だか混乱してしまったのは、二種の相互に無関係の事件が混在しているからに他ならない。今週と来週の二週にまたがる最終章の前編までしか終わっていないから物語の全貌は未だ明らかにはなっていないわけで、ゆえに話が何とも見え難いのも仕方がないところ。ともあれ、分かりにくい面と解らない面と二面あるのは感じた。
先ずは前者を簡単に整理しておきたい。二種の相互に無関係の事件の混在という点の判りにくさという面だ。刑事の内海薫(柴咲コウ)が取り組んでいるのは公園の池から発見された遺体の死因の解明だが、この発見をもたらしたのは池の近くで拾われた鉄板デスマスクの謎であり、この謎に物理学者の湯川学(福山雅治)は強い関心を示した。この時点では恐らくは誰もが、殺人と鉄板デスマスクとの関係を想定していた。
しかし極めて謎に満ちて興味深い鉄板デスマスクの生成という事象はどうやら殺人事件に対しては偶然の結び付きしか持たないらしい。落雷の巨大なエネルギーが電線を通じて水中に解放されて衝撃波を生じ、偶々水中に沈んでいた鉄板を遺体の顔に押し当ててその造形を写し取ったのは、たとえ自然界では到底あり得ない出来事のように見えようとも、あくまでも自然現象に過ぎないらしい。そこには何者の意図も関与していなかった。それどころか逆にこの事象は、当の殺人事件に関する重要な証言を突き破り、それによって保証され得たはずのアリバイをも突き崩し得る材料を提供するのだ。
要するに鉄板デスマスクの謎は、捜査にとって有益な証拠でこそあれ、犯人の意図するところでもなければ意図の痕跡でさえない。しかるに湯川学は、この自然現象の論理を証明するのみに徹して事件との関係について今のところ明確には語っていないから、この番組をボンヤリとしか見ていなかった迂闊な視聴者(吾こそはその一人)はその辺の関係性、否、無関係性を迂闊にも見逃しかねなかった。
他方、もっと明確に「解らない」と云いたい面もある。それは自然現象としての鉄板デスマスクの生成の現実性だ。確かに湯川准教授の研究室における実験では成功した。とはいえ実験で生成したのは所謂マネキン人形のマスクに過ぎない。マネキン人形の顔は、人の顔とは異なり、石のように硬い。鉄板を強い力で押し当てたときの効果は、人形と人では自ずから異なることだろう。内海刑事がこの事件を湯川研究室に持ち込んだ当初、鉄板デスマスクという何とも不可解な事件をめぐる議論の中で、優秀な学生の一人である村瀬健介(林剛史)は死後硬直の可能性を提起し、湯川准教授からは直ちに却下されていた。硬直化しても大した堅さにはならないと。しかしマネキン人形の顔の堅さは人の顔の堅さとは比較にならない。マネキン人形で可能であることが人間でも可能であるとは云えるのだろうか。そこが解らない。