旅行記一

今日からの春の連休の前半には関西へ行くことに決し、拠点を阪急梅田駅に近いホテルに定めた。朝七時の少し前に家を出てJR松山駅から岡山駅を経て大阪駅へ。ホテルへ荷物を預けてから阪急電車に乗り、宝塚の清荒神へ。清荒神清澄寺山内にある聖光殿、鉄斎美術館で開催中の展覧会「鉄斎-画面のひろがり」を観照するためだが、この美術館の楽しみは展示だけではなく館の玄関に着くまでの過程にもある。駅前から鳥居までの間の商店街や、鳥居から山門まで延々続く参道の左右の種々の店の活気を眺めるのが楽しいのだ。富岡鉄斎は数多く描いた山水図に「山は蓬莱に似て人は仙に似たり」と自賛を着けたが、この寺は昔「蓬莱山清澄寺」と呼ばれただけのことはあり、参道を歩いていると仙境に迷い込んだかと錯覚する程。また、今日は清荒神に着いたのが昼だったので、参道にある食堂で昼食を摂った。清荒神清澄寺宇多天皇の勅願により創建され「日本第一清荒神」の称号を与えられた極めて由緒ある寺院だが、参道の入口が鳥居であることが物語る通り、寺院なのか神社なのか判然としないのが特徴で、その点で古き良き日本の信仰の姿を今に伝える稀有な寺院であると云える。そこが楽しい。山内の神仏を拝礼したのち、昼一時二十分頃、聖光殿へ。
幸いにも今日は一時半から鉄斎美術館学芸員による解説会が行われる日だったので、大勢の聴衆の一人としてそれを聴講した。鉄斎画の面白さを初心者にも解り易く説く内容で、実に勉強になった。これまで度々御世話になったことのある同館のヴェテラン学芸員先生がおられたので御挨拶をしたところ、今日の講師の学芸員氏にも御紹介くださった。色々話を聴くことを得た。大勢の聴講者が退出してから閉館までの約一時間、家から持参してきた小型の望遠鏡で画中の細部まで観照しながら全作品を一通り観照し直した。展示中の作品「寒江万里図」の画賛には「愛媛県松府」で描かれたとの記載があり、確かにその山水の様子は松山の三津浜の風景を中国風に描いたものであると見受ける。屏風「名所十二景図」中の「霧島古矛図」は宮崎の霧島山頂にある国生みの旧跡を描いたもので、宮崎出身者としては小学校の遠足で原物を見た記憶もあり、懐かしい。六曲屏風一双「渓山真楽図・天空海闊図」の左隻「天空海闊図」には浜辺で魚を焼いて宴会をしている漁夫たちが描かれているが、望遠鏡で拡大して見ると、彼等の傍らにある焚き木には、その火で焼かれている魚の形が上手い具合に描き込まれていることに気付く。富岡鉄斎は自由奔放な筆遣いで殆ど無造作なまでの勢いで絵を書いているかのような印象があるが、よく見れば一つ一つの要素を決して疎かにはしていない。同じく六曲屏風一双の大作、「青緑山水図」は傑作。青や緑の鮮やかな色彩には透明感があって美しい。その他、「群盲評古図」や「竹窓聴雨図」、「大瀑図」をはじめ傑作、名作が並んで何時までも見ていても面白い。「画工ではなく学者である」と自称した近代絵画の巨匠、富岡鉄斎の画業はそのまま学者としての業績でもあり、感性にも知性にも楽しい。
夕方四時半の少し前に鉄斎美術館を退出。参道を下りて、清荒神駅から阪急電車で王子公園駅へ。兵庫県立美術館で開催中の展覧会「村上華岳・水越松南誕生120年記念-南画って何だ?!」を観照。ここでも、池大雅与謝蕪村、谷文晁、浦上玉堂、野呂介石、田能村竹田、帆足杏雨、川上冬崖、野口小蘋、富岡鉄斎、小室翠雲、松林桂月等の作品を、持参の望遠鏡で細部まで観察。谷文晁の壮麗な大幅「連山春色図」は全体を見ても細部を見ても実に見応えがある。
夜八時の少し前に美術館を出て、夜九時の少し前にホテルへ入った。