旅行記三

連休の後半の三日目。旅行記三。
朝八時半にホテルの食堂に行けば大混雑。入口の前に行列ができていて、なかなか入れなかった。昨日はそんなことはなかったのに。昨日からの宿泊客が多かったのだろうか。利用者の殆どが若い人たちだったのも昨日との違い。ともあれ対策として明日は朝食時間を早めた方がよさそうだ。
朝十時頃に外出。新宿三丁目駅から西高島平駅へ。板橋区立美術館で開催中の館蔵品展「絵師がいっぱい」を観照。英一蝶の「士農工商図屏風」では右隻に見える茶屋の店内で団子を食う人が、本当に美味しそうに嬉しそうに食っているように見えて楽しい。野口幽谷の鯉魚図も面白かった。この国内屈指のユニークな美術館は長らく江戸狩野派コレクションで名声を博してきたが、なるほど近年はその範囲を江戸狩野派の分派としての谷文晁派にも広げているのだろうか。野口幽谷は椿椿山の門人で、益頭峻南や松林桂月の師。堅苦しいまでに高潔の、人格者だったと伝えられるが、この鯉魚図を見ると、なかなか冗談を解する洒落た人だったと判る。その辺が江戸時代に生を享けた人らしい。ただの近代人とは違うのだ。
展示室内で作品を撮影している人たちがいた。そうか、撮影も可だったのか。カメラを持参すべきだった。現在開催中の展示は館蔵品展なので図録がない。過去に開催された展覧会三本の図録三冊を購入し、昼一時半頃に館を出て、西高島平駅から大手町駅へ。
皇居、千代田城(旧江戸城)三之丸にある宮内庁三の丸尚蔵館で開催中の展覧会「富士-山を写し、山を想う」の中期展を観照した。横山大観の画巻や堂本印象の屏風が出ていたが、やはり場中一番の傑作は、近代大和絵の巨匠、松岡映丘の大幅「富岳茶園」だろう。手前の茶園からはるか彼方の富士山までの間の、広々とした空間。よく見ると川には鉄橋が架かり、田園の中には蒸気機関車が走り、駿河湾には古風な帆船のほかに大型の船舶も行き交い、浜辺には工場があって煙突から煙が立ち上っている。近代化してゆく昭和初期の日本の風景と、そうした変化を超えたところに聳え立つ富岳の姿。この対比の鮮やかさは、市川崑監督の映画「東京オリンピック」における富士山を想起させる。映丘の兄は民俗学者柳田国男であるし、人々の生活における変化と不変については常に想うところがあったに相違ない。昭和の日本絵画の傑作であると思う。
展示を見終えて図録等を購入して三の丸尚蔵館を出たあと、近くの休憩所にある菊葉文化協会の売店で買物をして、少し休憩。ついでに本丸を散策。皇居を出たのは夕方四時頃だったろうか。そこから徒歩で、丸の内側から八重洲側へ超えてさらに歩いて、石橋財団ブリヂストン美術館へ。「岡鹿之助展」と館蔵品展を観照した。正直なところ岡鹿之助の傑作の数々よりも館蔵品のヨーロッパ近代絵画の方に見応えがあるのは致し方ない。
展示を見終えて図録を購入したあと八重洲の地下街で夕食を摂って、中央線で新宿へ戻った。今日は生憎の曇天で、夕方からは雨も降り出して空気は寒かったが、人混みの中にいると不快な暑さもあり、Tシャツでも大丈夫だと感じられた。昨日も今日も、服の選択の難しい中途半端な天候だったのが誠に残念。初夏の暑さを予想して服装を準備して来ていたのに。