ごくせん第七話

日本テレビ系。開局55周年記念番組。土曜ドラマ「ごくせん」。
原作:森本梢子「ごくせん」。脚本:松田裕子。音楽:大島ミチル。主題歌:Aqua Timez「虹」。挿入歌:高木雄也「俺たちの青春」。プロデュース:加藤正俊。制作協力:日テレアックスオン。演出:佐藤東弥。第七話。
今宵は、赤銅学院の年に一度の文化祭「赤銅祭」で3年D組の連中が皆で「イケメンカフェ」を開店するの話。無論そこに、赤銅学院卒業生で今なお「伝説の番長」と恐れられる街の不良の郷田(松田悟志)の一味による陰湿で乱暴な妨害の話も加わり、彼等の担任教諭である主人公「ヤンクミ」こと山口久美子(仲間由紀恵)の華麗な見せ場がそこに成立する。
でも、正直な感想を云わせてもらうと「学園祭位は普通に楽しませてくれ!」の一言に尽きる。学院の全校生徒は無論のこと、教頭の猿渡五郎(生瀬勝久)ばかりか普段は怖い顔した理事長の赤城遼子(江波杏子)をも含めた学院全部を挙げて盛り上げる赤銅祭の全貌を賑やかに描いてくれれば、それだけでも楽しめたのではないだろうか?とさえ思わなくもない。とはいえ文化祭の準備から撤収までの一部始終の単なるドキュメンタリーだけで終わって一波乱も生じなければドラマとして成立しないし、何より、あのような無茶な妨害に対してヤンクミが怒ることこそは、学校生活を通して二度と得られない大切な思い出を作ることの必要性を訴える場にもなるわけだから、あの騒動には詩学上の意味が一応あるのだ。
それでもなお、今宵の話における見所は「イケメンカフェ」準備中や修復中や営業中の3年D組の連中の様子にこそあったと思う。それに比するなら騒動と戦闘は、事実上、単なる挿話に過ぎなかったと云うも過言ではない。普段は背景に過ぎないようにも見える大勢の生徒たちが生き生きと動いていたのが特によかった。
例えば、学級で一二を争う美少年の原明大(真山明大)は、普段、学ラン姿の襟元に深い緑色のスカーフ(「ごくせん」公式サイト内「3年D組学級日誌」五月十八日の記事によると、スカーフではなくアフガンストールと云うらしい)を巻いているが、今回、「イケメンカフェ」の準備や修復の作業中は上着を脱いでいて、白いTシャツに緑のアフガンストールを巻いた状態になっていた。変な格好ではあるが、それで工作に従事していた様子が、暑いようでもあり涼しいようでもあり、でも爽やかで一寸よい感じだった。或いは、髪型の派手な吉田竜也(若葉竜也)は、営業中の「イケメンカフェ」で主婦連を相手に接客をしていた間、普段の、何だか無理して強面にしたような感じからは一転、本来の愛嬌あるところを見せて、やはりよかった。
また、郷田一味から襲撃を受けた数人中の一人は、白い野球ユニフォームの上に学ランを着た松方広(矢崎広)。郷田は、緒方大和(高木雄也[Hey!Say!JUMP])や風間廉(三浦春馬)に宣戦を布告するにあたり、松方広の携帯電話を使ったのだ。テレヴィドラマ「ごくせん」における見所の一つとしてケンカに負けた少年を美しく見せることがある以上、襲撃を受けて傷だらけになっていた松方広の姿は今宵の見所の一つだったに違いない。矢崎広はその大役を確と務めていたと云えるだろう。
惜しかったのは、戦闘場面の直前、緒方大和と風間廉と本城健吾(石黒英雄)と市村力哉(中間淳太)と倉木悟(桐山照史)と神谷俊輔(三浦翔平)の六人がそれぞれの思いを述べた場面における台詞の配分の仕方。単刀直入に云えば、緒方大和と本城健吾の台詞は逆にした方が無難だったろう。
ところで。「ごくせん」公式サイト内「3年D組学級日誌」五月二十六日の千葉恵佑(=斉藤恵佑役)の記事には、3年D組生徒役の出演者中「笑いの神」として「原役の真山明大」が挙げられている。五月二十七日の浜尾京介(寺内京介役)の記事にも「イケメンナンバーワン」の真山明大は「面白くてギャグとかやばい」と書いてある。あの顔で、そんなに面白いのだろうか。同記事によると浜尾京介は撮影現場で真山明大と最も仲よく、木戸邑弥(大隈邑弥役)を加えた三人で一緒にいることが多いとのこと。こういう情報も興味深い。「笑いの神」と称された真山明大自身は五月十八日の記事において、(一)撮影の合間には誰か面白いことをやるのが常で「僕は見る方専門」であること、しかるに(二)最近は元来の癖が出てダジャレをよく云うようになったことを述べている。なお、五月二十二日の記事で小柳心(片山心役)が矢崎広について「なんか…こう…色々ややこしい」と述べているのは、一体どういうことか判らないので気になる。