おせん第八話

日本テレビ系。ドラマ「おせん」。
原作:きくち正太。脚本:高橋麻紀。音楽:菅野祐悟。協力プロデューサー:山口雅俊(ヒント)。プロデューサー:櫨山裕子三上絵里子/内山雅博(オフィスクレッシェンド)。制作協力:オフィスクレッシェンド。演出:茂山佳則。第八話。
今宵のは文字通り一寸した「祭」の回。仙境のような料亭「壱升庵」も、町の賑やかな祭に際しては二百名もの神輿の衆への御接待のため、例年、六百個ものオムスビをはじめ色々な料理を山のように提供するのを常とする。今年もそうだった。しかし今度ばかりは、テル子(鈴木蘭々)の旧友の料理記者、藤木(六角精児)の過ちから大問題が発生し、例年のようには無事には進まない恐れがあった。危機をどう乗り越えるか、皆で大騒ぎをした挙句、柄の悪い喧嘩神輿の衆の支援を得て無事の解決を見たところで祭の当日を迎えたのだ。壱升庵の皆で忙しく働いて御接待のための料理を拵え、二百名もの神輿の衆を歓迎。今宵の話に関与した登場人物が皆、その場面において勢揃いした観があった。祭の空間に相応しい。
神輿の衆に「借り」を作った状態だった半田仙(蒼井優)は、彼等に請われるまま、恐らくカタギではないと思われる彼等の一人を相手に大酒飲みの競争に挑まざるを得なくなり、江崎ヨシ夫(内博貴)と竹田留吉(向井理)は心配して陰から見守っていたが、結局は半田仙の圧勝に終わり、江崎ヨシ夫も竹田留吉も、大喜びで拍手を捧げていた。これもまた、いかにも祭という場に相応しい楽しい挿話だった。
こうした賑やかに楽しい話は、その過程においては焦燥感を抱かせずにはいない危機の連続だったわけだが、中で一つ、違和感を禁じ得なかったのは、半田仙に対するテル子の「時代遅れ」発言だ。話の展開上には極めて大きな役割を果たした言ではあるが、不可欠の要素だったとは必ずしも思わない。半田仙の思想の表明として今宵、「取り残された」のではなく「変らないだけ」であるというのがあったが、その前提としては、テル子の同窓会の話があれば充分だったろう。先週も述べた通り、これまでの物語の描くところ、壱升庵は云わば都会の中の仙境であり、そこに生きる人々は壱升庵の世界観、半田仙の思想を己自身の信条としていて、その調和を乱し得るのは一人、まだまだ未熟であり異分子でもある「よっちゃんさん」こと江崎ヨシ夫だけだったのだ。それは新入りの若造ならではの大胆な行為だが、それによって仙境としての壱升庵の調和も秩序も揺らぎはしなかった。この物語の妙味はそこにこそあると云うも過言ではない。だが、今回のように、熟練の飯炊き職人であるテル子までもが揺らぎ始めてしまっては、今後あの世界がどうなることか判らなくなるではないか。もっとも、桃源郷の終焉を予感させるのがテレヴィドラマ制作者の意図するところであるのかどうかを未だ知らない。
壱升庵とは永い付き合いの米屋の店主(高木ブー)の、また来年も再来年も壱升庵の半田仙のオムスビを食いたいという感想は、云わば、仙境の永遠性への祈りに他ならない。彼もまたその幸福な住人なのだ。