渡る世間は鬼ばかり第十一話における興味深い二場面-夜中の公園の高校生男女と洗濯屋のイケメンパラダイス

TBS系。橋田寿賀子ドラマ「橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」。
作(脚本):橋田寿賀子。音楽:羽田健太郎。ナレーション:石坂浩二。演出:清弘誠。プロデューサー:石井ふく子。第九部第十一話。
今宵のこのドラマには、普段のこのドラマでは滅多に見ることができないような実に面白い場面を二つ見ることができた。問題は、それらが橋田寿賀子の書いた脚本の中で具体的に指示された描写だったのか、それとも演出家の発想により付加されたものだったのかという点だが、二つの場面の内一つは脚本の通りと見て間違いないし、もう一つも多分、脚本において軽く指示されていたものを演出家の判断で敢えて奇抜な描写に仕上げてみせたのではないかと推察される。というわけで今宵の第十一話では往年の巨匠、橋田寿賀子の構想力の程を久々に堪能できたと評してよいだろう。
二つの傑作の場面の内で最も面白かったのは、(一)番組外の現実の時計が九時二十四分を示していた頃の場面のこと。舞台は小島家ラーメン店「幸楽」の近所にあると思しい小さな公園。「幸楽」店主の小島勇(角野卓造)と、彼の娘の婿にあたる田口誠(村田雄浩)とが、金田典介(佐藤B作)を含めた仲間数人とともに密かに実現に向けて進展しつつあるロックバンド活動の件について、その公園にあるコンクリート製の東屋で打ち合わせをしていたのだが、直ぐ近くにあるベンチには高校生と思しい男女一組、学校の制服の夏服を着て、殆ど身動きもせず並んで座っていたのだ。同店の公式サイト(番組内の用語に云う「インターネットのホームページ」)によれば営業時間は夜九時までで、小島勇が「ウォーキング」と称して店を出ることができるのは九時半以降。ゆえに公園のあの場面も九時半以降。ことによると十時を過ぎていたかもしれない。そんな時間に、あの高校生男女は何をしていたのか。殆ど身動きもせず言葉を交わすでもなく、静かにベンチに座ったままで。少なくともこの「橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」の世界観では、夜九時以降に高校生男女が外にいること自体が、如何わしい不良の行為として、重大事件と見做されかねないというのに。実に謎だ。
このような不可解な、しかし笑える描写が混入したのはどういうことか?演出家の遊びなのか?否、そうとは限らない。演出家の遊びである可能性はあるが、脚本家の指示である可能性もある。なぜなら、バンド活動の件で田口誠が妻の田口愛(吉村涼)に疑われるのを恐れる余り煮え切らぬ態度であるのを見て、小島勇が苛立ち、怒鳴り声を上げて不図振り返ったとき、そこに高校生男女がいたことに気付いて彼が驚いたのと同時に、当の高校生の側も彼の形相に驚き恐れたのか、逃げるように公園から走り去り、その様子に小島勇が申訳なさそうにしていたところに、田口誠が歩み寄り、こうして謎の高校生男女の惹き起こした突然の場の変化によって彼と田口誠との会話の流れが中断されたのを機に、両名とも少し冷静になり、会話を仕切り直すような展開があったからだ。要するに、かの高校生男女は、単なる遊びで入場させられたにしては話の展開に影響を与え過ぎてはいないか?と思うのだ。
普通のドラマであれば演出によるその程度の脚本の変更なんか日常茶飯事であるのかもしれないが、この番組は普通ではないのだから、やはり橋田寿賀子自身の何程かの指示を見ておくのが妥当ではないだろうか。むしろ脚本の指示に忠実に従った結果があれだったのではないかとさえ思える。
もう一つの面白かった場面は、(二)小島久子(沢田雅美)が新たに開業した洗濯代行業の店に、最初の客(…になるかもしれなかった人たち)として、二人の大学生と思しい男子が来た場面。小島久子の開店に文句を云いに来た妹の野々下邦子(東てる美)は、店の手伝いをしようかどうしようか悩んでいたところで彼等男子を見て俄然やる気を出した。店で働けば色々な出会いがあるかもしれない!という下心を隠そうともしないのも一寸凄い。彼等のことを「イケテル」とまで形容していた。野々下邦子にとって彼等は云わば「イケメンパラダイス」の到来を予感させる登場人物だったわけだ。確かに二人の内一人は勝地涼に少し似た感じの男前だったが、ここで真に注意すべき点は、彼等「イケテル」男子二人組が、例えば「ごくせん」や「イケメンパラダイス」にでも出演すれば普通にしか見えないとしても、少なくとも、この「渡る世間は鬼ばかり」世界においては圧倒的な爽やかさを誇示し得るということだ。なにしろ、この世界における若者の代表格は小島眞(えなりかずき)なのだ。森山壮太(長谷川純[ジャニーズJr.])にしても、「拵える」とか「道理がない」とか独特な言語を使用する時点で爽やかさの領域にはもはや生きてはいないと云わざるを得ない。彼等「イケテル」男子二人組も所々異様に詳細な説明口調を露呈してはいたが、このドラマの基本設定だから不問に付すべし。
気になったのは、彼等「イケテル」男子二人組が同居生活を営んでいるとも受け取れる発言をしていたこと。真相はどうなのか。もし同居しているとすれば、それは家賃を安くするための貧乏学生の知恵であるのか。多分そうなのだろうが、それ以外の意の(恋愛に基づく)同居であれば、これまた「渡る世間は鬼ばかり」世界に馴染みにくい要素が混入していたことになるだろう。実に興味深い。今宵のこのドラマを録画したものは保存に値しよう。