今治行

四連休の二日目。今日は今治へ行くべしと思い、昼に外出。JR松山駅から今治駅へ行き、駅前から大野までバスで行こうと思っていたものの、残念ながら丁度よい時間の便がなかったのでタクシーに乗り、旧玉川町の大野にある今治市玉川近代美術館へ。館蔵品展を観照。中村彝の油彩画「平磯海岸」は歴史的な傑作で、せめて県指定有形文化財にはなっていなければならないと思う。興味深い展示品は多かったが、私的に最も心惹かれたのは海老原喜之助の「馬」。炎天下を歩んでいた馬と二人の青年が、泉のある木蔭で水を浴びて休憩しているところだろうか。松本竣介の「B夫人像」についての解説文中に「古典的」という表現があったのは例えばピカソの「新古典主義」辺からの類推によるのか知らないが、少々違和感がある。描かれた顔が古典的であることは絵として古典主義的であることではないからだ。ともあれ、個人コレクターの「趣味」(美的判断)の結晶としてのここのコレクションには美の判定に関する一貫性があると感じられて、見ていて実に心地よい。建物も含めてとても魅力的な美術館なのだが、交通の便の悪さが致命的だ。今治駅行バスは基本的に一時間に一本しか来ないし、大野行バスは一時間に一本もないので、行くも帰るも大変なのだ。気軽には来れない。
序でながら云えば、館内のトワレを出たところに貼ってあったバスの時刻表が古い版だったのか、それを見て今治駅行のバスの時刻を確認した上でバス停留所に行けば実際の時刻が全く違っていて、結局タクシーで移動せざるを得なくなった。しかしタクシーが近くに待機してくれているわけでもなく、停留所に案内の出ていたタクシー会社に電話をかけて呼んでも十五分間は待たなければならなかった。そこで、あくまでも親切な助言のつもりで美術館に電話をかけて時刻表の件を伝えたところ、そんな不手際なんかない!と強行に反論され、逆に馬鹿にされてしまった。一寸納得ゆかぬ。
タクシーで今治駅の近くにある今治市河野美術館へ。閉館三十分前だったので大急ぎ館蔵品展を観照。何時もながら面白い作品が並んでいた。松野梅山の大和絵風の掛幅に惹かれたが、どういう画家なのかを知らなかった。今インターネット上で検索してみれば尾張の人で狩野養川院の門人か。江戸時代後期の木挽町狩野家を中心とする狩野派における旧風革新の流れの中で見るべき人だろうか。このような珍しい作品がさり気なく出ているのがこの美術館の凄いところ。河鍋暁斎菊池容斎、邨田丹陵の作品もあり、来る度に楽しめる。ここの館蔵品も河野信一という個人コレクターからの寄贈によるものであり、ゆえにそこには一人の愛好家の「趣味」(美的判断)や美術思想、歴史観が貫かれているのと同時に、時代の「趣味」も深く作用していたろうことを感じることができる。
夕方五時四十五分頃に河野美術館の近くにある今治市中央公民館へ。三井住友海上文化財団と今治市教育委員会愛媛県教育委員会の主催による「中野振一郎チェンバロリサイタル」を鑑賞。開演は六時から。大ホールは満席に近かった。曲目は、前半が、バッハ「ゴルトベルク変奏曲」主題アリア、ラモー「鳥たちのさえずり」、ドメニコ・スカルラッティソナタ」K.192、ボワモルティエ「のみ」、バッハ「イタリア協奏曲」BWV971、十五分間の休憩のあと、後半が、S.ジョプリン「オリジナル・ラグズ」、F.レハールメリー・ウィドウ」、そして最後にバッハ「パルティータ第4番」BWV828、アンコールはモーツァルト最初期(五歳?)の作品。演奏も素晴らしかったが、合間の語り(所謂MC)も面白かった。チェンバロ音楽は本来は貴族の音楽、チェンバロ奏者は元来は貴族の使用人であり、チェンバロ演奏会の聴衆は貴族に他ならない…という設定で、吾等聴衆は全員が貴族。髭男爵にさせられた気分だった。こんなにも大勢の貴族に来てもらう機会は滅多にないので幸せな気分であると幾度も云っておられたが、楽しい語りと典雅な(否、かなり激しく、語の本来の意味でバロック的でもあった)演奏で、聴衆こそ幸福な気分だったと云わなければならない。
夜八時五十分頃にJR今治駅へ戻ったが、松山行の特急はその一時間後の出発。一時間もあるので、駅の近くにある定食屋の焼魚定食で夕食。焼魚の他に焼豚&玉子の小鉢も付き、汁物のウドンに鶏肉が入っていたのは、両方とも今治の名物だからだろう。豚肉と玉子が今治で生産されているかどうかは知らないが、焼豚玉子飯というのは今治のラーメン店における隠れた名物であると聞いたことがある。
松山駅に戻ったのは九時半頃で、帰宅したのは十時頃。TBSの春と秋の恒例の特別番組「オールスター感謝祭2008超豪華!クイズ決定版」を見れば、三浦春馬佐藤健吉沢悠が並んで座っていた。この五時間半番組の全部を一応は録画してあるので明日以降にでも見ることにしよう。