スクラップ・ティーチャー第七話

日本テレビ系。土曜ドラマ「スクラップ・ティーチャー 教師再生」。
脚本:江頭美智留。音楽:吉川慶&Audio Highs。主題歌:Hey!Say!JUMP「真夜中のシャドーボーイ」。プロデューサー:櫨山裕子&内山雅博。制作協力:オフィスクレッシェンド。演出:南雲聖一。第七話。
この物語の核には城東区立第八中学校2年D組担任教諭の杉虎之助(上地雄輔)と、同組生徒の久坂秀三郎(中島裕翔)との信頼関係がある。これは物語を推進しつつ制御するための拠り所であり、その意味において恐らくは揺るぐことがない(と予想しておきたい)。このことのゆえにそれは同時に、物語の主題を映し出す鏡のようなものでもあり得る。
久坂は杉先生を信頼していて、その信頼の深さは友愛のようであると形容するほかない程だが、それでもなお、決して教師と生徒の関係を逸脱することはない。今回、三人組による制裁の標的とされたのが非常勤講師の滝ゆう子(加藤あい)だったことの意味は、そのこととの対比によっても捉えることができるだろう。なぜなら滝先生は教師と生徒との関係を逸脱し、あたかも生徒の一員であるかのように行動して、結果として、却って生徒たちを傷付けてしまったのだからだ。
無論ここで滝先生の境遇に見る社会的な問題を、一応は考慮する必要もあるかもしれない。このドラマに描かれている学校の荒廃の第一原因はそもそも区立学校の統廃合ということにあったわけだが、全国で実際に進みつつあると思われる学校統廃合という問題の背景には、地方自治体の財政難による教育予算の大幅な削減の問題とともに、財政難を深刻化させる原因でもある少子高齢化問題があると考えられよう。そしてそうした問題への対応策として、統廃合という政治性をも孕んで甚だ厄介な問題よりも手軽に早く着手されたのが教員採用の規模を縮小することだったろうと思われる。非常勤講師の増加というのはその副産物に過ぎない。教員として採用されないのは無能だからではなく、採用の枠それ自体がないからなのだ。滝先生が「ハケン」で豪徳寺秋美(南野陽子)が正職員の教育公務員であるのは、後者が前者よりも優秀であるからではない(実際に豪徳寺の方が優秀である可能性もなくはないが、それは劇中に一切描かれていないので不明)。こうした不条理の中で滝先生が色々落ち込んだり考え込んだりしたとしても仕方ない面があるだろう。そのことは認めておくべきだ。
でも、それでもなお、高杉東一(山田涼介)、吉田栄太郎(知念侑李)、入江杉蔵(有岡大貴)の三人組による滝先生への制裁は真理を突いている。生徒たちにとって滝先生は先生に違いないからだ。他の先生たちと同じく先生なのだ。教諭か非常勤講師かの違いなんて生徒たちには関係ない。生徒たちにとって滝先生が身近に感じられるとしても、それは滝先生の個性の賜物であると見るべきで、決して教諭ではないからではないはずだ。不遇な条件に耐えて日々頑張っている非常勤講師に対して過酷な要求を突き付けるのは辛いことだが、実際には多くの先生たちが非常勤講師であっても教諭に劣らない責任を果たしているはずで、もちろん滝先生にも同じことが要求されざるを得ない。三人組の制裁を受けた滝先生は自らを「無様だ」と評した。高杉にそう云われる前に自らそう云ったあたり、三人組のことをよく知る滝先生らしいとも云えるが、それ以上に多分、滝先生には以上のようなこと位、元来よく分かっていたのだと思われる。
ところで、2年D組では総合学習として近所の公園でキャンプを実行し大いに盛り上がったが、キャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスの際の組み合わせでは唯一、杉先生等の組み合わせに不満が残った。男女一組になって踊るべきところ、人数の都合か、久坂は滝先生と組み、杉先生は先輩教諭の高須久公(八嶋智人)と組んでいたが、やはり滝先生は高須先生との名コンビで行くべきだし、久坂と杉先生のコンビを見たかった。
高杉と組んだのが鉄道と(なぜか)高杉を愛する土屋大輔(新井大輔)だったのは期待通り。前回、生徒会選挙で久坂の推薦人を高杉とともに引き受けた土屋は、肝心の場面で姿を消した高杉の「力不足」を非難し、別の男子に乗り換えようとしていた(高杉が事件解決のため陰で大奮闘していることを彼は知らない)が、やはり高杉を諦めたわけではなかったらしい。
キャンプファイヤーを囲んで盛り上がる2年D組の生徒たちと三人の教師の様子を木蔭から覗き見していた松尾悟史(向井理)の不気味さ加減は、月九ドラマ「イノセント・ラヴ」におけるトンカチ使いの殺人鬼、秋山耀司(福士誠治)を想起させる(福士誠治向井理も「のだめカンタービレ」ではモーツァルトオーボエ協奏曲を典雅に演奏していたのに)。
それにしても城東区立第八中学校の職員室における松尾先生の発言力の強さは凄い。若手の一教諭が教頭という管理職相手にあんなにも発言力を持つというのは、多分、学校職員室という奇妙な空間だからこそ成り立つことなのだろう。役所の中で部局長と課長と課長補佐と係長以下との間には特別な権力関係が成立し、教職員といえども教育委員会本庁へ行けば権力関係の中に位置付けられることだろうが、多分、学校現場では校長も副校長も教頭も主幹も教諭も同じ教員として平等になってしまうのだろう。一般に校長は本庁課長級、教頭等は本庁課長補佐級、教諭は本庁係長級未満という階級になるかと思われるが、そうした上下関係を普段意識している教員は少ないのかもしれない。松尾先生はそれを存分に利用しているようだ。
ここで一つ注目しておきたいのは、松尾先生に煽られて杉先生の総合学習キャンプ計画を一時は止めさせようとした教頭の矢吹一(六角精児)が、結局、「何かあったら、杉先生、あなたが責任を取ってくださいよ」と云って許可したことだ。もちろん実際には一教諭(係長級未満!)に過ぎない杉先生に全責任を押し付けることなんか(個人の犯罪でもない限り)できるはずもなく、もし本当に「何かあったら」、管理職である校長と教頭が責任を取らなければならなくなるはずだ。矢吹教頭はそれを知った上で敢えて杉先生を信用したわけなのだ。彼は責任者として覚悟を決め、生徒を信頼する杉先生を信頼してキャンプを許可した。杉先生と生徒たちは信頼を勝ち取った。生徒を信頼してはならないと考えている松尾先生は、だからこそ、キャンプの盛り上がりを気に入らないのだろう。