仮面ライダーディケイド第十五話

東映仮面ライダーディケイド」。
第十五話「超モモタロス、参上!」。脚本:小林靖子。監督:石田秀範。
門矢士(井上正大)は、「実体をなくした」と云うモモタロスの実体性について異論を述べた。先ずは(1)小野寺ユウスケ(村井良大)の身体に憑依し続けようとしていたモモタロス(声:関俊彦)自身に対して、「実体を取り戻したいなら自分でイメージしろよ。簡単な話だ。最初は他人のイメージでも、おまえの中にちゃんとおまえがいるはずだ」と云い、さらに(2)、実体のないモモタロスをこの世界における「宝」として持ち去ろうとした海東大樹(戸谷公人)に対しても、「実体なんかなくても、こいつはちゃんと存在している」と云った。
思えば、二〇〇七年の「仮面ライダー電王」では、周囲の想像力と記憶こそが人間の存在の根拠であるというテーゼが物語を貫いた。だからこそ誰からも記憶されなかった人は時間の中に居場所を失った漂流者として時空の電車「デンライナー」で孤独な旅に生きるほかなくなるし、仮面ライダーゼロノス変身のために自身に関する人々の記憶を消費しなければならない桜井侑斗(中村優一)は常に自身の消滅の危険に怯えなければならなかった。人は自分自身についての記憶を保つことによって自力で生きるわけではなかった。門矢士はそうしたテーゼに異論を唱え打破したと見ることもできる。
九つの仮面ライダー世界をめぐる仮面ライダーディケイド=門矢士の物語の中で、先週の第十四話から今週の第十五話にかけての「電王の世界」だけは当の「ディケイドの世界」自体にさえも影響を及ぼす程の勢いで、一見あたかも「ディケイドの世界」とも対等であるかのように、独自の存在感を誇示しているかに見えるが、その実は少々逆説的ではあるが、この「電王の世界」こそは最も根本的なところで、かの鳴滝(奥田達士)が何時も云うように「ディケイドによって破壊されてしまった」のかもしれない。
それにしても。ユウスケは今回は散々な目に遭わされた。モモタロスに憑依されて身体を酷使されたあとは勢いよく放り出され、久々に仮面ライダークウガに変身したかと思えばディケイドによって変形させられた挙句、ケツ穴を冒され(!)、振り回されて投げ飛ばされた。戦い済んだあとも腰や尻の痛みに苦しんでいたユウスケの顔を、門矢士が楽しそうにカメラで撮影していたのは一寸よい感じの画だった。門矢士は少し痩せたのだろうか、美形度が一段と上がったように見えた。デンライナーが走る彼方を歩く海東の、気取った感じの歩き方も麗しく見えた。