The Perfectible Body和訳二

本日の「The Perfectible Body」和訳(二)。「肉体の発達(この語によって私は、この語がここ百年間以上にわたり西洋の社会において取ってきた形式のことを云おうとしているのだが)へ向けた近代人の探究心を支えている社会的な基盤は、もともとは紀元前五世紀のギリシア文化に由来し、イタリアのルネサンス時代に修正された形で西ヨーロッパに伝えられた一定の価値体系を正しく認識することなくしては理解できない…という私のテーゼがこの話の基礎となる。身体というものに関するキリスト教の説を、若干のギリシア思想の形式に親和的な仕方で解釈して保持することは、神学的な理解の本流では決してあり得ないものの、想像力の水準では広く定着していて、それゆえに、ルネサンスの時代以来、写真の発明された十九世紀の半ばにいたるまでのヨーロッパ芸術の伝統として、英雄の姿は鍛えられた肉体で描かれてきた。写真機の登場に伴って想定された“リアリズム”への新たな関心は、二十世紀の成長しつつある社会の期待を、発達した肉体の“民主化”へ向かわせた上、それを大衆文化と大量消費の可能な対象にしたのだ」(p.14)。