旅行記一清荒神清澄寺鉄斎美術館粉本展

三連休の初日。旅行記一。
朝六時頃に目を覚まして、準備を整えて八時半に外出。JR松山駅を九時二十三分に発ち岡山駅新大阪駅を経て大阪駅へ到着したのは昼一時半頃。昼食は岡山駅で購入した蜂蜜牛肉弁当を新幹線の車内で。大阪駅から徒歩で梅田駅に近いホテルへ入り、荷物を置いて、阪急電車で宝塚の清荒神へ。清荒神清澄寺にある鉄斎美術館で八月二日まで開催中の展覧会「鉄斎の粉本-本画にいたる道」を観照。
今回も興味深い作品資料が多かったが、私的に興味深く見たのは本画「大嘗会図」。画家である以前に学者であろうとした富岡鉄斎は「根拠のない画は描かぬ」ことを信条としていたから、この画についても必ずや(文献であれ絵画史料であれ関係者の証言であれ)何かの典拠があるはずだが、果たして大嘗会については彼はどのような取材をしたのだろうか。粉本「天逆鉾図巻」は、古事記日本書紀において言及されたのち中世以降の神道において様々に解釈された天逆鉾について、絵画史料を調査した結果や霧島山高千穂峰で現物を実見した結果をまとめたもの。注目すべきは高千穂峰の「快晴眺望絶佳」の遠景を描いた箇所で、簡略化された描写でありながら実に臨場感がある。粉本「子育観音図」は鉄斎筆とは思えない程に中国画の様子をよく伝えるが、横に展示されていた本画「観世音菩薩育子図」を見ると完全に鉄斎画と化している。なお、粉本「糸瓜群虫図」は伊藤若冲の同題の名画を臨模したものだが、その原画は現在、京都の細見美術館の蔵品であり、しかも九月十三日まで同館において展示中のようなのだ。
ともかくも、富岡鉄斎の粉本を見て判るのは、学者としての彼の業績は全て論文としてではなく粉本資料や絵画作品として表現されたのだということ。彼の学識は言葉によってではなく造形によって、色彩と形式によって最も豊かに表現され得たのだということだ。だから、神話であれ文学であれ有職故実であれ、学者としての関心を鉄斎と共有する人々は、鉄斎の粉本を見ることで多くの教示を得るに違いない。
夕方六時頃に梅田へ戻り、駅の食堂街にある洋食屋で夕食。阪急梅田駅の近くに宿泊したときは毎回そこで夕食を摂っている。