NHKブラタモリ第三回=二子玉川

NHK総合ブラタモリ」。第三回目の旅先は「二子玉川」。
この街は昭和四十四年以降、所謂「郊外型ショッピングセンター」の玉川高島屋の開店に伴って開かれたとのことだが、古今のあらゆる過去の遺物を捨て去りゆく「開発」の時代の象徴のような街であるかに見えて、思いのほか随所に古い時代の名残が保存されていた。衝撃的だったのは、二子玉川の開発の拠点と云うべき玉川高島屋の事務所の床下に、かつて賑わったボウリング場の床と床下の設備がそのまま残されていたこと。
当時まだ郊外型ショッピングセンターが人々の日常生活の中に溶け込んでいなかったということか、客の入りの悪さに苦しんだ当時の経営者は、集客を図って様々なイヴェントを開催したり娯楽施設を併設したりしたらしい。その一環としてボウリング場も設置したらしいのだが、空前のボウリング大流行の時期が去り、他方で、ショッピングセンターが人々の生活に溶け込んで集客力を持つに至った中で、ボウリング場は役割を終えて、今は事務所に改装されていたのだ。しかも当時の名残を床下に蔵しながら。
想い起こせば、九州の宮崎県宮崎市の郊外にも、やや後の出来事になるのだろうか、地元企業の宮崎交通が都会からダイエー(?)を誘致して宮交シティという名のショッピングセンターを開店したわけだが、そこには店舗の中央にあるイヴェント用の吹き抜けの広場のほか、屋内の遊園地や展覧会・博覧会場、プラネタリウム、そして別棟にボウリング場と屋内プール、さらには屋外プールまでもが併設されていた。博覧会場ではツチノコ展やアラビアン・ナイト展が多くの見物客を集めていたのを記憶する(幼時の吾はその種の展覧会の得意客だった)。
話を戻そう。二子玉川では、かつて多摩川の畔に料亭街があった頃に川の氾濫を防ぐため築かれながらも結局は無用の長物と化した土手がそのまま残されているほか、車道を走っていた玉川電気鉄道の線路や停留所の跡も様々な形で遺されていた。そして街の全景を見渡せる山の上には、浄土宗の獅子山西光院行善寺がある。江戸時代、徳川将軍が鷹狩や鮎狩を楽しんだ際に休憩所とした由緒あるこの寺の門は葵の御紋を付けた紫色の幕で飾られていた。タモリとは無縁な新興の街かと見えながらも意外な程に古い歴史の記憶を留めている事実が明かされて、実に興味深かった。昭和の半ばから戦前へ、そして江戸時代へと時間をさかのぼってゆく番組の構成が極めて絶妙だったと思う。