新番組=三浦春馬主演サムライ・ハイスクール第一話/三浦春馬と小公女セイラの林遣都

今宵からの新番組。
日本テレビ系。土曜ドラマサムライ・ハイスクール」。第一話。
脚本:井上由美子。音楽:菅野祐悟。チーフプロデューサー:櫨山裕子。プロデューサー:荻野哲弘&内山雅博。企画協力&プロデューサー:山口雅俊(ヒント)。制作協力:オフィスクレッシェンド。演出:佐藤東弥
実に面白かった。三浦春馬が。普段の、勉強もスポーツも苦手な高校生男子=望月小太郎としても面白かったが、先祖の望月小太郎に身体を憑依されて変身をしたあとの、サムライとしても面白かったし格好よかった。手に持つ武器は刀ではなく定規やブラシだが、最高度にキレのある美麗な身体のフォルムと機敏な運動性の賜物と云うべきか、まさしく「侍」と見えた。
元来「侍」とは公家に仕えて警護に当たる者の意だろうが、やがて侍が「武家」と呼ばれて公家と対等の天下人となってからはむしろ「天」そのものに仕える者と化したと云うことができるだろう。天とは、あるべき秩序、正義、善美の根拠に他ならない。そうした意味において、サムライ高校生=望月小太郎が現代のこの世界に降り立って「空気も人も腐っておる」と述べたのは、実に侍らしい言であると云わざるを得ない。封建社会朱子学的な侍の社会では徳や義や知が重んじられるが、封建秩序を破壊して成立する大衆民主主義社会では結局、力のみが信仰される(数の力、金の力…)。そこは神をも恐れぬ弱肉強食の世界であり、負け組がどこまでも負け組であり続けることは自己責任の結果として肯定され、強き者を助け弱き者を挫くことが立身出世の近道であり得る。弱き者を助けることこそ天の道、君子の道であると信じる侍にとって、そのような者どもが腐った「奸物」と見えるのは必然だろう。
望月小太郎の同級生の、イジメラレ児の中村剛という役を、見るからに強そうな、むしろイジメ児の側にしか見えない城田優が演じているのは、意外に適切な人選であるのかもしれない。なぜならあの役をもし柳下大桜田通が演じていたら、余りにも生々しく痛々しくて、見るに耐えない場面の連続になっていたかもしれないからだ。
乱暴な交番の巡査を演じている金子ノブアキは案外よい感じに見えたので、やはり月九ドラマ「ブザー・ビート」制作者の側に問題があったのだろう。望月小太郎に真田家の家臣の望月小太郎に関する古文書を閲覧させた東雲歴史文庫の鍵番の人は、いかにも歴史研究の領域に沈潜して浮世離れした感じの不気味さを醸し出していて、役者は誰?と思えば、ミムラだったのか。
ところで、このドラマにおける三浦春馬が見るに値するのは、同じく今宵から始まったTBS系の土曜ドラマ小公女セイラ」における林遣都が見るに値するのによく似ている。林遣都は、富裕の学校の寄宿舎の屋根裏にある汚い部屋に住み込みながら学校と寄宿舎の雑用全般のため酷使される貧しい使用人=三浦カイトの役を演じているが、惨めな身分にあって貧しいながらも学問への志を捨てることなく逞しく生きているこの健気な人物の像を、清潔感と気品と知性と優しさのある少年として実現している。