教科書には載らない日本人の謎&陰陽師について

年末年始休暇の五日目。朝早くに起きたものの、再び寝ていた。夕方五時の少し前に外出し、道後祝谷の松山神社に参詣。ここは松山城の鬼門を守る東照宮であると同時に菅原道真伝説を有する天満宮でもある。無事に参詣を済ませたのち電車で大街道へ出て、鉄道会社の料理店で伊予牛スキヤキ御膳で夕食。徒歩で帰宅。
ところで。
夜九時から二時間半にわたり放送された特別番組、日本テレビ系「たけしの教科書には載らない日本人の謎2010」を見た。昨年三日に放送された同題の特別番組の続編であるから、昨年のは好評だったのだろう。今回は主に、暦のこと、地名のこと、出雲大社のことが取り上げられた。暦に関しては日蝕のことも取り上げられ、邪馬台国卑弥呼の没年にも日蝕があったと推測されること、ゆえに卑弥呼の死にも日蝕の関与があった可能性も想定できること等が述べられたが、そのことを表現する所謂「再現ドラマ」では、ハイキングウォーキング松田洋昌が女装して卑弥呼の役を演じ、卑弥呼を擁立していた豪族役を鈴木Q太郎が演じた。なるほど邪馬台国の人の髪型と云えば鈴木Q太郎の得意分野であるだけに、全く違和感がなかった。
朝廷において暦を作成し、日蝕のような異変を予知すれば密かに奏聞するのが陰陽師の仕事だった等と説明されていたが、少々正確ではないように思われる。暦の作成を司るのは中務省陰陽寮の所掌であり、陰陽師は同寮に属する官吏ではあるが、役所には職位と分掌があることは云うまでもない。暦を作成するのは暦博士の職務で、天文を観察して異変のことを密かに奏聞するのは天文博士の職務であるから、二つの業務を混同して説明してはならないのだ。暦博士世襲したのは鬼退治で有名な吉備真備の裔にあたる幸徳井家(賀茂氏)で、天文博士世襲したのが安倍清明を出したことで有名な土御門家(安倍氏)。「占筮、地を相すること」を掌る陰陽師(おんようし)は平安京の本省のみならず太宰府をはじめ諸国に配置されていたとか。また、後世、安倍氏=土御門家が堂上(公家)として栄えたのに対し、賀茂氏=幸徳井家は地下(下級官人)のままに留まって、甚だ振わなかったとも伝えられる。だから江戸時代においては、陰陽寮の長官である陰陽頭の官職だけは土御門家の家業でも、実質的には、次官の陰陽助を家業とした幸徳井家が同寮を取り仕切り、事実上「陰陽寮=幸徳井家」と化していたらしいことが、幕末の貴族社会に生きてその全てを知り尽くしていた下橋敬長の貴重な証言によって判る。