新番組=咲くやこの花第一話

今宵からの新番組。
NHK土曜時代劇咲くやこの花」。第一話「めぐりあひて」。
登場人物等の名が百人一首の歌に因んでいる。それぞれの名が一体どの歌に因んでいるのか、自分なりに解読してみよう。なお、以下に引用する和歌の表記の仕方は藤原定家の原本の再現を試みた島津忠夫訳注「百人一首」(角川文庫)に拠っている。
江戸の漬物屋の娘こい(成海璃子)の名は、元旦に衝撃の出会いをした浪人の深堂由良(平岡祐太)の名とともに、曾禰好忠の歌「由良のとを渡る舟人かぢをたえ行衛もしらぬ恋のみちかな」に因んでいると思しい。そして、この「行方も知らぬ恋」ということが物語の基底にもあると想像される。
こいの母そめ(余貴美子)の名と、犬猿の仲にある隣人、鰻屋の信助(佐野史郎)の名とを対で考えるなら、前者が壬生忠見「恋すてふ我名はまだき立にけり人しれずこそ思ひ初しか」、後者が平兼盛「しのぶれど色に出にけり我恋は物や思と人の問迄」だろうか。しの(寺田有希)が信助の娘であることは傍証となり得よう。「しの」と「のぶすけ」で「しのぶ」だからだ。
豪商、「百敷屋」呉服店の当主が徳兵衛(大和田伸也)、若旦那が順軒(内田滋)であるのは、二人合わせて、順徳院「百敷やふるき軒端のしのぶにもなをあまりあるむかし成けり」に因んでいるのが明白だ。芦川藩主の門田伯耆守稲葉(寺田農)の地位と名は、大納言経信「夕されば門田の稲葉をとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹」。
こいに和歌を教えている女流の国学者、「嵐雪堂」佐生はな(松坂慶子)の名は、入道前太政大臣の歌「花さそふあらしの庭の雪ならでふり行ものは我身なりけり」。佐生の読み方が「さそふ」である点も注意に値しよう。
第一話の題「めぐりあひて」は、紫式部の歌「めぐり逢て見しやそれ共分ぬまに雲がくれにし夜半の月影」に因んでいる。ちなみにこの歌、一般には「夜半の月かな」の形で親しまれ、百人一首歌カルタにもそのように書かれるが、新古今和歌集紫式部集では「月影」であり、紫式部の原作も、定家の百人一首の原本も「月影」と記していたと推察されるとか。
物語の語り手をつとめるのは百人一首の撰者、藤原定家(中村梅雀)。権中納言定家の歌は、劇中で当人が朗詠したように、「こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ」。
このドラマを真に深く味わい得るか否かは、実のところ、「焼くや藻塩の身も焦がれつつ」とか「行方も知らぬ恋の道かな」とかの語の響や句意を自分なりに味わい得て、そこから想像を広げてゆくことができるか否かに係っている気がする。