浪花節が創る日本近代

今宵は、仕事からの帰宅後、夜十時からの約一時間テレヴィドラマ「ヤマトナデシコ七変化」を見た以外は殆ど読書か寝るかしかしなかったと云うも過言ではない。
おかげで兵藤裕己の『〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代』(講談社学術文庫)を一気に読み終えることを得た。実に興味深かった。この著者による書としては何年も前に『太平記〈よみ〉の可能性 歴史という物語』を読んだことがある。平家物語太平記の史実と物語の両方の型をなし、太平記由比正雪事件の行動と言説を規定したのみか、さらには忠臣蔵の枠組ともなったことを論じながら、声で語られる歴史が普遍的な真理の物語として広く共有され、やがて物語が人々の熱狂を方向付けて歴史を形作ってゆくことにもなる論理を大胆にも史学的に浮かび上がらせた見事な研究書だったと記憶する。大いに感銘を受けたものだった。この『〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代』もまた、近代の日本における大衆というものについて考える者の誰もが抱かざるを得ないはずの難問について、その難問の根源とも云うべきものが何であるかを鋭く捉えている。かつて昭和の庶民の老人たちがどうしてあんなにも浪曲を愛好したのかを、昭和の末期しか知らない世代の者は容易には理解し難い(平成生まれの人々に至っては浪曲自体を聞いたこともないだろう)が、その理解し難さが何であるのかをも、何となく考えさせるかもしれない。
しかし「旅行けば駿河の国に茶の香」というのが浪花節だというのは流石に知っていたが、「火事と喧嘩は江戸の花」も浪花節だったとは知らなかった。語り出しに際してそれぞれの浪曲師が工夫してそうした文句を付けていたそうで、「表題付け」と云うらしい。「とかく浮世で変わらぬものは、松の葉色に月日に出汐、変わり易いは人心」というのも聞いたことがある気がする。

〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代 (講談社学術文庫) “声”の国民国家・日本 (NHKブックス)
太平記「よみ」の可能性―歴史という物語 (講談社選書メチエ) 太平記<よみ>の可能性 (講談社学術文庫)
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