NHK咲くやこの花第九話

NHK土曜時代劇咲くやこの花」。第九話「今日を限りの」。
次週の最終回を前に、物語は今宵の最後に異様なまでの盛り上がりを見せた。大江戸小倉百人一首歌かるた腕競の本戦を勝ち抜いて、いよいよ江戸城における征夷大将軍徳川家斉寺泉憲)御前の試合に進んだ江戸の深川の漬物屋「ただみ屋」の娘こい(成海璃子)の前に立ちはだかった対戦相手は、こいにとっては最も尊敬する国学の師、「嵐雪堂」主人の佐生はな(松坂慶子)に他ならなかったからだ。はな先生は今、大奥の姫君のための学問指南役に就任し、名を「花嵐」と号していた。
花嵐先生が、一度は就任を辞退したはずの大奥学問指南役の職を敢えて引き受けたのは、亡き愛しい人、畠田雅道(倉貫匡弘)の「志」を大切にしたいからだった。雅道は不治の病から多くの人々を救うためには漢方だけではなく蘭方をも学ばなければならないと考えていたが、文政十一年(一八二八年)シーボルト事件のこともあって幕閣は蘭学者に対して警戒感を抱いていた。花嵐先生は、大奥の姫君を相手に蘭学事始の写本を教材にして世界の学問、学問の世界の広さを伝えることで、蘭学の奨励へ道を開こうと考えたのだ。
それにしても、杉田玄白蘭学事始は文化十二年(一八一五)に完成していたとはいえ、明治二年(一八六九)に福澤諭吉によって刊行されるまで写本によって一部にしか知られなかったに相違ない。花嵐先生はその存在をどのようにして知って、その写本をどこからどのようにして入手したのだろうか。先生は(第一話において)、何か特別に珍しい書物を直前の年末に苦労して入手した喜びから、その書物を夢中になって読み耽り、年が明けたことにも気付かない程だったが、あれは蘭学事始だったのかもしれない。そうであるとすれば花嵐先生は畠田雅道の生前の志と苦労のことを知る前から既に蘭学への関心を持っていたと判明する。佐生はな女と畠田雅道の二人は、会うことが絶えて身は遠く離れていようとも、心においては通じ合っていたということだろうか。
花嵐先生は、将軍家の姫君に蘭学事始を教えることについて将軍の許可を得るため、江戸城における御前試合に何としても勝って、将軍への願い事を申し出る権利を獲得しなければならないと考えている。他方、花嵐先生の愛弟子こいもまた、愛しい人の「志」を我が事として引き受け、それを遂げるためには何としても勝たなければならないと考えている。こいの最も愛しい人、深堂由良(平岡祐太)は、十年前の江戸城内で行われていた不正についてその真相を暴き、当時そのことで無実の罪を着せられて殺された父、深堂好忠(小久保丈二)の名誉を回復し、仇を討ちたいとの「志」に生きている。こいが万が一この試合に負けるようなことにでもなれば、由良はその試合の会場に間違いなく臨席しているはずの父の仇を直ちに自力で討とうとすることだろうが、そのとき由良に生命はないだろう。こいは、由良の望んでいる真相の究明を将軍に訴えるためにも、そしてそれ以上に、由良その人を守るためにも勝たなければならない。
師と弟子は、己の愛しい人のため、己の生命を賭して戦おうとしているのだが、実に皮肉なことにも、こいの対戦相手として花嵐先生を選んだのは、幕閣中の最大の有力者である芦川藩主の門田伯耆守稲葉(寺田農)。由良の父の仇その人に他ならなかった。貧乏な町娘に簡単には勝たせたくなくて強敵を探した結果だった。なぜ町娘に勝たせたくなかったのか。平安時代の和歌や歌物語に対する武家や富豪の娘たちの熱狂を盛り立てることで、雅やかな衣装や装身具への欲求を掻き立てたいからだった。ここには教育政策と結び付いた経済政策がある…と云えば聞こえはよいかもしれないが、その裏面には、日本橋の豪商「百敷屋」呉服店主人の徳兵衛(大和田伸也)と結託した汚職があるのだから何とも始末が悪い。「志」を抱いた師弟の対戦を実現したのが醜い賄賂政治でしかないとは、実に凄まじい構図だ。この物語は最後にとんでもなく皮肉な状況を生み出してしまっているのだ。
そして門田伯耆守稲葉や百敷屋徳兵衛の醜さとの対比において、こいや嵐雪堂はな先生や深堂由良の「志」の清さが際立っている。決戦の前夜、こいは、十年前に深堂好忠が迂闊にも信頼していた門田伯耆守への贈物として準備していたあの豪奢な朱塗の箱の小倉百人一首歌かるた二百枚の札の中から、曾禰好忠の歌「由良のとを渡る舟人かぢをたえ」の下の句「行衛もしらぬ恋のみちかな」の札一枚を取り出して、深堂由良に渡した。愛しい人を守りたくて。「この歌の下の句には『こい』がいます。『こい』が命懸けであなたを守ります」と云って。こい自身は、試合の当日、その同じ歌の上の句の札を胸元に忍ばせていた。上の句の札には『由良」がいるからだろう。
行方も知らぬ恋の道を描いているこのドラマには、他に二つの恋が進行している。一つは、こいの母そめ(余貴美子)と、隣人の信助(佐野史郎)との間の長年にわたる「忍恋」。もう一つは、信助の娘しの(寺田有希)の、百敷屋順軒(内田滋)への片想い。昔、そめに対する信助の恋路を邪魔してそめと結ばれた亡き長吉(吉田智則)の苦悩が、今、こいに対する順軒の片想いを邪魔しないわけにはゆかぬ恋路のしのの苦悩と重なって、しのに新たな行動を起こさせた。
ところで、長吉の名を、百人一首の歌に因んだものとして読み解くことはできるだろうか。普通に考えてそれらしい歌も歌人名も見当たらないが、強いて挙げるなら柿本人丸(柿本人麻呂)の歌に因んでいると云えなくもない。「足引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねん」。この「ながながし夜」の「し夜」を逆から読んで「よし」にすれば「ながよし」になり、これを「長吉」と書いて「ちょうきち」と読んだと考えてみてはどうだろうか。少々強引かもしれないが、この人丸の歌における一人寝の寂しさを、長吉の片想いの苦しさと重ねて見ることができるはずだ。
今週の順軒の替え歌は「渡してはくれぬものとは知りながらなほうらめしきまち惚けかな」。これはもちろん藤原道信朝臣の歌「明ぬればくゝるものとはしりながらなをうらめしきあさぼらけかな」のパロディ。
こいと由良が生命をかけた永遠の愛を誓い合った第九話の題「今日を限りの」は、かの清少納言の主君だった一条院皇后定子の母にあたる儀同三司母こと高階貴子の歌「わすれじの行末迄はかたければけふをかぎりの命ともがな」に因んでいる。
江戸城の庭の、将軍の御前という時代劇ならではの舞台に、師と弟子、そして仇討を志す者と仇とを揃えて今や異様なまでの盛り上がりを見せ始めた物語が一体どこへたどり着くのか、その「行方も知らぬ」展開を見せる最終話を、このドラマの語り手をつとめる小倉百人一首の撰者、京極黄門こと権中納言正二位藤原定家卿が云うように「焼くや藻塩の身も焦がれつつ」次週まで待たなければならない(「こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ」)。