旅行記二清荒神清澄寺鉄斎美術館用印展&細見美術館江戸琳派江戸狩野派展
旅行記二。
朝十時頃、ホテルから外出。阪急梅田駅から電車で宝塚の清荒神駅へ。十時五十分頃に降車して、駅の脇の商店街を抜け、鳥居をくぐり、参道の両側の商店の数々を見物しながら山道を登り、山門をくぐって清荒神清澄寺の諸仏諸神に参拝したのち、十一時二十五分頃、聖光殿の鉄斎美術館で開催中の「鉄斎-用印の全て」を観照。
幕末から大正期までの永い生涯を通して万巻の書を読み万里の道を行き、儒学者・国学者として、画家として、書家として、勤皇家として、そして幕末には志士として活躍した「最後の文人画家」富岡鉄斎が古今の様々な印章を愛好した「印癖」の人で、三百顆以上の印章を所有していたことは予て知られてきたが、今回の展覧会では現存する鉄斎の印章三百八十五顆の全てを、それらの印章の捺された書画とともに、三期にわけて公開するとのこと。鉄斎美術館開館三十五周年記念事業の掉尾を飾るに相応しい空前絶後の好企画であると云わざるを得ない。なお、館内で配布されている解説書によると、調査検討の結果、鉄斎の印章は五百種以上あったことが現時点において確認されているとのこと。換言すれば百種以上が現存していないということで、中には鉄斎自身の意によって破棄されたものもあったらしい。
鉄斎の印章については、書画に実際に捺されたその印影にはそれなりに馴染みがあるものもあるが、印章そのものを見ると、思いのほか小さな姿や、思いのほか巨大な姿に驚かされる。奇妙な形の木を用いていたり、奇妙な模様の石を用いていたり、仏像の彫刻が施されていたりして、見た目も面白いし、国内外の過去の文人が愛用した古いものを入手していたり、著名人に刻してもらったものもあって、なるほど「印癖」には深みがあるようだ。
併せて展示されている書画も素晴らしかった。「高遊外売茶図」では紅葉の艶やかな秋景の中に寂しげに座して一人で茶を煮る売茶翁の姿に強く心惹かれるし、「伏魔大帝関雲長像」では関雲長の衣服の着色の濃さが眼を惹く。「飲中八僊図」では詩人たちの姿が妙に滑稽で楽しい。「武陵桃源図」の淡い緑色の山水の美しさ。「懐素書蕉図」では、どこにでも文を書きまくり、貧しい中で書く紙も物もなくなってもなお書くことへの執念を止められず遂には芭蕉の葉にまでも詩文を書き始めた懐素の姿に味わいがあるが、その傍らにいる御供の青年の姿もなかなか麗しい。「売書船図」を見て思うのは、もし鉄斎が現代人だったなら古書店の通信販売を愛用していたかもしれぬということだろうか。
昼一時四十分頃に鉄斎美術館を出て、史料館をも見学したのち、二時頃に山を降り始めた。その途上、大正八年創業の食堂「宝光亭」に寄って遅めの昼食。創業時には富岡鉄斎も存命だったのだと考えると感動する。
二時半頃に清荒神駅を出発して十三駅で方角を変えて京都の河原町駅へ。駅からタクシーで岡崎公園に近い細見美術館へ。同館で開催中の「琳派展13お江戸の琳派と狩野派-板橋区立美術館×細見美術館」を観照。狩野晴川院養信の傑作「群鹿群鶴図屏風」六曲一双の内「群鹿図」や、伝狩野探幽の「風神雷神図屏風」六曲一双、狩野章信の「美人図」一幅、狩野如川周信の「花鳥図養蚕図巻」二巻の内「花鳥図巻」等、板橋区立美術館蔵の江戸狩野派の名品が細見美術館蔵の江戸琳派の名品とともに出ていた。
一般論で云うと、江戸琳派の優美で端麗な完成度の高さに比較すると江戸狩野派は少々雑だったり物足りなかったりするが、今回の出品画をはじめとする板橋区立美術館の蔵品を見れば、江戸狩野派の中にも沈南蘋に学んだものがあったり浮世絵風を取り入れたものもあったりして、なかなか侮れないことを再認識できる。
夕方六時に細見美術館を出て、近くにある食堂の鍋焼ウドンで夕食。駅まで歩いて行く途上の寺の門の前に贈正五位香川景樹大人の石碑があるのを見たので、写真に摂ってみたが、暗闇だったので石碑の文字を殆ど判読できない写真になってしまった。人混みの三条通、河原町通を歩き、河原町駅から電車で梅田駅へ戻った。