旅行記三相国寺承天閣美術館円山応挙展

旅行記三。
朝十一時頃にホテルから外出。梅田駅から河原町駅へ。新京極通を北上し、寺町通を北上する途上にある食堂の野菜炒で昼食。一時十分頃に京都御苑へ至り、内裏の西側を北上して御苑を通り抜け、一時半頃に相国寺へ到着。
相国寺承天閣美術館で開催中の「館蔵の名品展-書画と工芸」を観照した。今回の一番の見所は円山応挙筆「七難七福図巻」全三巻(重要文化財)とその下図の特別展示にあったが、同じく応挙の筆になる「敲氷煮茗図」一幅、「朝顔に狗子図」一幅、「海浪群鶴図屏風」六曲一双、「朝顔図 薔薇文鳥図」双幅の四点も見事なものだった。
重要文化財「七難七福図巻」は、応挙が滋賀の円満院の住職から、地獄と極楽をこの世のものとして云わば「リアルに」描き出して欲しいとの依頼を受け、四年もの歳月を費やして制作したもの。ゆえに人災を描く巻における残虐な場面の連続は、地獄の恐ろしさをこの世の事象を通して表現したものであると解することができる。それでも、人災の巻の後半の、罪人が処刑される様子を描くのは兎も角、前半の、何の罪もない男女が強盗団に襲われて財産を奪われ強姦され殺害される様子を克明に描くことは、悪人を罰する世界であるはずの「地獄」の表現として妥当であるのか?と考えるなら、どうにも解せない。七福の巻に見るような端整で満ち足りた上品な表現が応挙の画風の基本的な特徴であると一応は云えるが、そのような取り澄ました仮面の奥には、人災の巻に見る猟奇的な残虐なものへの好みが潜んでいたのだと考えるほかないように思われる。
曾我蕭白が円山主水の悪口を云ったとき、もし言外に応挙のこうした隠れた嫌らしさを揶揄する感情が含まれていたのであれば面白い。
なお、会場内の解説文は全体としては興味深かったが、所々疑問点もないではなかった。例えば、福の巻における「婚礼」の場面に関して、「新郎新婦舅姑」の幸福な表情について述べられていたが、どう見ても「新婦」が見えない。着飾った老夫婦と、晴れやかな直衣の子息たちのほかは女官たちばかりではないだろうか。ゆえにあの場面は「婚礼」ではなく、殿の長寿を皆で祝賀しているところを描いたものとでも解すべきではないだろうか。
夕方四時二十分頃に相国寺を出て、京都御苑を通り抜け、寺町通を南下して四条通へ出て、河原町駅を発して梅田駅へ着いたのは六時半の少し前。夕食を摂ってからホテルへ帰った。