中野剛志の日本思想史新論

昨日の深夜、中野剛志の新著『日本思想史新論』を読み終えた。
グローバル化の時代は失敗とともに終焉したと云われ、ナショナリズム=国民主義の役割が(日本を除けば)世界的に見直されているとも云われる中で、日本国民が今の時代にこそ取り戻して然るべき固有のナショナリズムとして、同書は会沢正志斎の尊王攘夷論を見出した。旧来のマルクス主義的な誤読を排して尊王攘夷論の真価を明らかにすると同時に、一方ではその先駆者として伊藤仁斎荻生徂徠を読み直し、他方ではその継承者として福沢諭吉を読み直してみせることによって、江戸時代の古学のプラグマティズムから水戸学を経て明治の「文明論」に至る日本的ナショナリズムの系譜を描いてみせたのだ。
全体として面白かったが、特に興味深かったのは、江戸思想史研究者として余りにも著名な子安宣邦福沢諭吉尊王論的な国体論を、なぜか所謂「世界市民」の類の論に曲解してみせていること、そのために無理な誤読を連発していることを暴露してみせた段(pp.186-200、特にp.192やp.195)に他ならない。なるほど、子安宣邦の著書を読んだとき生じる違和感の原因は、戦後日本に対する占領政策の思想を江戸時代や明治期の思想に潜り込ませようと企んでいるところにあったのだろうか。

日本思想史新論―プラグマティズムからナショナリズムへ (ちくま新書)