掃塵と鑑戒

昼、厳しい事実を知って、あたかも世の終焉にでも直面したかのように落ち込んでいたが、夕方四時頃には解決の道が到来してくれて、それに身を任せただけで全て自ずから解決した。なぜなら最初から解決策は明確に存在していて、困難はどこにも一つも存在していなかったからだ。前進しようともしないで単にどんよりしていただけの己の怠惰を恥じ入り反省したが、反省を機に、晴れやかな気分になり得た。致良知を心得て、知行合一を心がけ、心の真理に誠実であるべし。
精神を曇らせる塵を掃却するための近道は、理想の人物像を想像し、あるいは間近に接することにあるに相違ない。己の心身の駄目なところを反省し、改善のための努力を始めることに繋がるし、下らないことで滞ったり怯えたりしていたことの愚かしさを自覚できるからだ。古来、賢聖の肖像や神話画のような鑑戒の図が制作されたことには意味があったのだと納得できる。